とうとう遺作を

映画×温泉 湯けむり日本映画紀行

乱れ雲」(1967年、東宝
監督成瀬巳喜男/脚本山田信夫司葉子加山雄三草笛光子/森光子/浜美枝加東大介/土屋嘉男/藤木悠中丸忠雄中村伸郎/十朱久雄/浦辺粂子龍岡晋左卜全

仕事帰りの夜に映画を観る予定を入れていると、不思議なものでその日一日うきうきした気分になる。つらい仕事があっても、終われば映画を観るのだからと考えると、つらさを忘れて頑張ろうという気持ちになるのである。まあだからといって毎日映画を観るようなお金もなし、それにこんなことを続けていると家族から何を言われるかわからない。
今回はとりわけ成瀬監督の遺作となった「乱れ雲」を観る予定だったから、一日の気持ちがそこまで引っぱられていった。
乱れ雲」はすでにDVDに録画してあるので、観ようと思えばいつでも観ることのできる環境にある。この「いつでも…」というのが厄介だ。もったいないということもあるが、そのためかえって観ないでずるずる時間が経ってしまう。買った本を読まずに積ん読することにも共通する心持ちだ。
でもせっかくスクリーンで観る機会があるのなら、それに越したことはない。ラピュタ阿佐ヶ谷での「温泉映画」特集、「簪」を観たのがずいぶん昔に思えてしまう。6月上旬のことだった。
温泉映画と聞いてわたしが連想したのが、成瀬巳喜男作品だった。とりわけ名作の誉れ高い「浮雲」と「乱れる」の2本が浮かんだ。今回はその2本に遺作「乱れ雲」もラインナップされた。川本三郎さんによれば、クライマックスで加山・司の二人がタクシーで向かう山奥の温泉宿は、青森十和田の蔦温泉なのだという(『続々々映画の昭和雑貨店』の「温泉の忍び逢い」)。
でも「浮雲」の伊香保温泉のように、森雅之岡田茉莉子、森と高峰秀子の混浴シーンがあるでもなし、「乱れる」の銀山温泉のような印象的な温泉場の風景があるでもなし、たんに二人の行く先が温泉宿だっただけのことで、「温泉映画」と言うほど温泉が筋に大きなウエイトを占めているわけではない。
乱れ雲 [DVD]この映画は1967年11月公開である。わたしが生まれて一ヶ月にも満たない頃のことだ。それゆえか、司葉子の部屋や、彼女の姉である草笛光子が暮らす団地の一室など、昭和30年代の映画にくらべ、自分の子供の頃の記憶と共通するような家電製品や道具などが置かれてある。
武満徹による音楽も、成瀬作品にしては派手目であるが、バラード調のそれは、「犬神家の一族」以下の大野雄二による金田一映画の淋しげな曲調に通じてゆくものがある。
栄転して海外赴任を間近にひかえた通産官僚の夫(土屋嘉男)を交通事故で失った女性司葉子と、夫を轢いた加害者である商事会社社員加山雄三の物語。事故は加山が運転していた車の故障による不可抗力ということで、加山は無罪になるが、司葉子は謝罪にやってくる加山に憎悪の視線を送り、法的賠償は必要ないにもかかわらず、個人的に賠償しないと気がすまないと毎月給料の一部を送金してくる加山に対しても、過去を思い出したくなく、人の援助で暮らしたくもないと拒絶のそぶりをみせる。
加山は事故によって付き合っていた常務(中村伸郎)の娘(浜美枝)と別れ、青森支店に左遷されてしまう。先日わたしは初めて青森の町を訪れたが、加山が降り立った青森駅前の風景は、ビルの新旧を別にすれば基本的に変わっておらず、感動的だった。青森に東北新幹線が延伸しても、新青森という別の駅ができるそうだから、青函連絡船の離発着駅も兼ねていた青森駅前の風景が今後も劇的に変わることはないだろう。
司のほうも十和田にある実家の宿に戻って義姉(森光子)の世話になり、旅館を手伝う。そこに加山が取引先の客を連れてやってくる。被害者と加害者、お互い深い傷を負った過去を忘れようと、東京から離れてきても、また近づいてゆくことになる二人。
微妙な心の揺れと、徐々に狭まってゆく二人の距離。過去をふりきりたいがために加山に心を開かず冷たい姿勢をとりつづけた司の心が少しずつ溶けてゆく様子に強い切迫感がある。
小林信彦さんだったか、ふつう映画監督は晩年になるにつれ緊張感を失い惰性に走るのだが、成瀬監督に限っては遺作「乱れ雲」まで素晴らしいと評していたことを記憶しているが、まさにそのとおりだった。