現代に甦る忠臣蔵

「続サラリーマン忠臣蔵」(1961年、東宝
監督杉江敏男/脚本笠原良三森繁久弥三船敏郎東野英治郎小林桂樹宝田明司葉子新珠三千代加東大介有島一郎三橋達也志村喬久慈あさみ夏木陽介/団令子/山茶花究/中島そのみ/児玉清藤木悠八波むと志/沢村いき雄/草笛光子柳家金語楼/南道郎

これをアップしたあと、今日が12月14日、すなわち討入りの日であることに気づいたのは迂闊だった。意識したわけではないのである。もっとも討入りの12月14日は陰暦だからどうでもいいことではあるが。
さて、前回「サラリーマン忠臣蔵」の感想を書いたあと、書友ふじたさん(id:foujita)からご教示を得た。「サラリーマン忠臣蔵」正続二篇の脚本は笠原良三だが、彼とは別に、原案「井原康男」という人物がクレジットされている。実は、原案を共同でこしらえた4人の名前をひと文字ずつ組み合わせた架空の人物であるというのだ。
その4人とは、井出俊郎(井)+笠原良三(原)+戸板康二(康)+田波靖男(男)。文字の位置がそのままもとの人物の名前の位置と一致するから面白い。このことは戸板さんの回想エッセイ『思い出す顔』*1講談社)に書かれてある。これもふじたさんのご教示。
この本によれば、かの大ヒット映画「青い山脈」は脚本家井出俊郎のデビュー作で、「仮名手本忠臣蔵」をさりげなく下敷きにしており、この「サラリーマン忠臣蔵」では「その井出流のアイディアを入れ、ぼくもいろいろ趣向を楽しんだ」とある。戸板さんのアイディアが盛り込まれた趣向、あれやこれやいろいろ思い浮かぶ。4人が楽しみながら原案を作っている様子が浮かんでくるようである。
『思い出す顔』は買ったまま通し読みしていない。今回久しぶりに取り出してその部分を拾い読みしたが、そこだけとっても内容がきわめて豊かなものであることがわかる。年末年始読書の候補本にしたい。
さてこの続篇。前回五段目、六段目、七段目、九段目がどうなるか期待と書いた。このなかでは、勘平が誤って定九郎を鉄砲で撃ち殺してしまう五段目がうまいこと取り入れられているのに笑ってしまった。
サラリーマン忠臣蔵 正・続篇 [DVD]赤穂産業を辞め、田舎で軽子(司葉子)と暮らしている寛平(宝田明)。牧場の手伝いをしているらしく、馬に乗って住んでいる小屋と牧場を往復しているのが笑える。いっぽう定九郎こと定五郎の三橋達也は、吉良社長から名古屋出張を命ぜられ、一週間という時間を与えられて、仕事が済むと好きな狩猟をやるため山に入ろうと張り切っているのだから、もうここから伏線が張られている。
宝田が仕事に出て、司一人で小屋にいるところに雷雨が見舞う。そこに狩りに出ていた三橋が雨宿りに訪れ、もとの同僚軽子と再会し、酔った三橋は彼女を襲おうとする。ちょうどそのとき牧場から宝田が帰ってきて、三橋ともみ合って猟銃が暴発、三橋は怪我を負ってしまうのである。
五段目・六段目の鍵となる財布や、勘平腹切りはない。切腹がないのは、四段目で判官切腹がないのと同じだろう。この二つの山場である切腹の場面を、現代の映画でどう処理するかが腕の見せ所か。映画の場合、宝田は傷害罪で服役し、最後に復帰するというハッピーエンドになる。
討入りは株主総会に見立てられる。12月14日の総会当日、蕎麦屋柳家金梧楼が主人)の二階に集まった浪士、もとい社員(赤穂産業を辞めて大石商事に移った)たちは、ボーナスを全額赤穂産業の株券に換えられて、一人一人手渡される。つまり社員一人一人が株主となって大石とともに総会に出席するというわけ。
総会にあたり、定石通り「山」「川」の合言葉の使い方が確認され(大石の発言に「山」で賛成、「川」で反対)、緊迫しつつもひときわユニークな総会の場面に転換する。
仮名手本忠臣蔵」の見立てということで言えば、兜改めの大序、吉良打擲の三段目、前述「二つ玉」の五段目が活かされた。また、歌舞伎などではあまり見せ場がない十段目の天川屋が取り入れられているのが味噌かもしれない。
歌舞伎はもともとパロディ精神に富んだ芸能だが、そんな戯作者精神を受け継いだ人たちと揃いも揃った名題役者によって、こんな愉しいパロディのパロディが生まれ、それを観ることができる愉しさ。たまらない。