型の魅力

鎌倉三代記 絹川村閑居の場

年に一、二度ある妻との観劇。一人のときは筋書を買うことがなくなったが、一緒のときは懐を直接痛めないこともあって、購入する。筋書を買った時熱心に読むのは、出演役者のインタビューと上演記録。
上演記録を見ると、わたしが歌舞伎を観るようになってから「鎌倉三代記」がかかるのは今回で三度目。いずれも幸四郎佐々木高綱雀右衛門の時姫だ。今回は三津五郎初役の高綱と福助の時姫である。
前二回の内容は例によってあまり憶えていない。今回三津五郎は、1956年に祖父八代目三津五郎が復活させた「芝翫型」で演じることで注目されている。筋書収載の上村以和於「半世紀ぶりの温故知新―三津五郎の高綱について―」によれば、八代目の時は、彼の父七代目三津五郎大正6年か7年頃(1917か18年)に演じて以来だというから、それですら40年近く経っている。
その七代目は四代目芝翫の型を憶えており、復活させたとのこと。しかもその「芝翫型」は江戸時代では主流であって、むしろ現在の型は幕末以降主流に取って代わったというのだから、もうその「物語」だけで楽しめてしまう。歌舞伎を観る楽しみの一つは、こんな来歴を知ることにある。
ところでその現在主流の型というのは、後半井戸から出てきた高綱がざんばら髪で「ぶっ返り」をするというものなのだが、前述のとおりさっぱり憶えていない。今回の芝翫型は、井戸から出てきた高綱の扮装は、「鬘は菱皮に変わるが、着付は前のまま肌脱ぎになって緋縮緬の襦袢に、金銀の六文銭の台付(アップリケ)、紫と白の仁王襷を掛けている」という。
いまの引用は、渡辺保さんの『歌舞伎 型の魅力』*1角川書店)による。この本に「鎌倉三代記」の型が事細かに解説されている。ここでは現在主流の型は歌六型(吉右衛門型)とされる。
わたしが魅入られたのは、高綱が最初道化っぽい足軽安達藤三郎に身をやつして時姫をくどく場面だった。このときの藤三郎の軽快な動きに踊りの巧みな三津五郎らしさを感じ、そのきびきびした所作を観ることができただけで、元を取ったような気持ちになったのだった。
この場面、渡辺さんの本には、七代目三津五郎芸談が紹介されている。「ここのところ、(役者の体に)踊りがなくてはいけませんし、また踊りになつてもいけないものなのです」。いかにも、いま思い出しても十代目の藤三郎こと高綱は踊りではないけれども、体に踊りがなくてはいけない所作だった。
型が違うということ、また、その型が古風なものだということを知っただけで、その型の魅力の有無とは別に、芝居を観るためのモチベーションが上がるのだから不思議なものである。次回歌六吉右衛門型の一般的な「鎌倉三代記」を観るのが楽しみだ。

信濃路紅葉鬼揃

歌舞伎十八番「紅葉狩」とは別に、能の「紅葉狩」を土台に長唄義太夫掛け合いの舞踊劇に仕立てた新作。玉三郎の鬼女に海老蔵平維茂。酔って深い眠りにおちいった維茂に、女が鬼であることを知らせる山神勘太郎の迫力ある踊りが、今日昼の部の歌舞伎座場内がもっとも沸いた瞬間だったかもしれない。

水天宮利生深川 筆屋幸兵衛

勘三郎初役の筆幸。父十七代目の当たり役なのだという。わたしはかつて国立劇場での澤瀉屋一門の勉強会「春秋会」でかかった通しを観たことがある。猿之助の鬼気迫る幸兵衛の狂気、貧窮のすえに幼い子供たちと心中しようとした場面に涙したことが印象深い。
そして今回の勘三郎の幸兵衛。十七代目の当たり役、そして泣かせる芝居。悪かろうはずがない。子役の二人、中村鶴松と妹お霜(男の子と女の子の交互出演らしいが、今回は男の子の方?)がしおらしくて泣かせるのだった。
黙阿弥明治の散切物。代言人(弥十郎)や巡査(獅童)が登場するのもそれらしい。そうした人物風俗だけでなく、貧しい幸兵衛一家に救いの手をさしのべようとする分限者の新造(福助)らの「慈善」という思想も明治の世の中らしさが出ている。
以前猿之助の通し上演を観た時には、幸兵衛が追い込まれてゆく経緯が丁寧に演じられていたせいか、今回の一幕二場の短縮版では若干の物足りなさ、唐突さが気になってしまった。