勝手な言いぐさ

荷風と谷崎

痴人の愛」(1949年、大映京都)
監督・脚本木村恵吾/原作谷崎潤一郎/脚本八田尚之/京マチ子宇野重吉森雅之/三井弘次/菅井一郎/清水将夫/島崎溌/近衛敏明

痴人の愛』という作品は、原作を読んで真から苛立たされたものだった。わがままな小娘ナオミにふりまわされ、結局いいなりになってしまう中年男(といっても譲治はたぶん中年というより、もっと若い人物だったはず)のふがいなさ。もうちょっとしっかりできないのかと情けなくなる。『痴人の愛』を読んでこんな思いを抱くわたしは、したがってフェミニズムとは無縁の場所にいる。
以前観た映画版は、1967年大映製作による増村保造監督の安田(大楠)道代・小沢昭一版だった。そのときの感想でも似たようなことを書いている(→2005/8/6条)。ナオミに馬乗りにされて引きずり回される小沢さんの悲哀。といってもたぶん本人(作品中の譲治という意味)はそれで大満足なのだろう。
今回観たのは1949年同じく大映京都製作による木村恵吾監督の京マチ子宇野重吉版(これが初映画化)である。キャラクターとしては穏やかな宇野重吉が、いかにもナオミ的な小娘京マチ子に翻弄され、デレデレとなってしまうのか…。なかば怖いもの見たさの気分。
京マチ子はこの作品が出世作とのこと(日本映画データベースによれば出演6作品目)。派手で遊び好きで、ちょっとおつむが足りなくて、でも素晴らしく均整のとれた、日本人離れしたプロポーションを持つ肉体派というあまりにもナオミのイメージにマッチする女優さんだ。
会社では聖人君子呼ばわりされている宇野重吉だが、家に帰るとナオミの言いなり。おお、宇野重吉、やっぱりあなたも…と嘆きたくなる。会社の同僚の一人で、宇野を遊びに誘おうとするのが菅井一郎。会社の専務で、ナオミにちょっかいを出して彼女の遊び友達三井弘次に殴られるのが清水将夫。二人とも軟派な風情。
ナオミの遊び友達の不良どもが、いまあげた三井弘次や、森雅之。キャラクターがまったく違うこの二人が遊び友達で並んでいるのがすごい。森雅之はいいとこのお坊ちゃんという役ではあるが。いっぽうの三井弘次はすでにこのとき39歳。不良青年というより、酔っ払いのオヤジである。でもわたしはこの役者さんが大好きだ。
譲治に内緒で不良仲間の一人と逢い引きするなどあまりに奔放すぎたため、とうとうナオミは譲治に家を追い出されてしまう。着の身着のまま、友達の家を泊まり歩いて金もなく、ふたたび譲治の家に舞い込んでくるときの京マチ子の姿が美しい。遊び回っていた派手な頃のナオミに魅力を感じない。零落美とでも言うのか、化粧もせずぼろぼろの服を身にまとった京マチ子の美しさにうっとりする。
とうとうナオミは譲治に詫びを入れ、逆に馬乗りにされて「何でも言うことを聞く」と改心(?)し、熱い抱擁を交わす二人。そこでエンドマークが出る。
えっ。『痴人の愛』をここで終わらせていいの。呆気にとられた。たしかに『痴人の愛』に嫌悪する立場で言えば、男=宇野重吉の勝利で終わるこの筋書は溜飲が下がるものではあるが、やっぱり違うのではないか。どうあってもナオミに勝てず言いなりになるふがいない譲治こそ、『痴人の愛』なのではないか。
あれだけ『痴人の愛』の構図に文句を言っておきながら、結局男の勝利に終わるさまを観ると、消化不良のような物足りなさを感じる。身勝手な言いぐさである。
今回のラピュタ阿佐ヶ谷での「荷風と谷崎」特集、実はこのあともう一本「痴人の愛」が上映される。それは1960年大映東京製作の、同じ木村恵吾監督によるリメイク版で、叶順子・船越英二がナオミ・譲治を演じる。キャストを見ると、森雅之の役が田宮二郎らしい。清水将夫の役が、濱田研吾さん期待の三國一朗が演じるという。
3本の「痴人の愛」のなかではもっともマイナーだと思われるこの60年版、はてさて結末はいかになるのか、心して観なければなるまい。ナオミの勝利に終わったならば、安心する反面船越英二のふがいなさに不満を抱くのだろうけれど。