八代目とのふたつの出会い

八代目坂東三津五郎の食い放題

めぐりあわせの不思議さに驚くことがある。先日歌舞伎座に歌舞伎を観に行ったことを書いた(→12/16条)。切符を確保した当初は、この昼の部での期待は、勘三郎初役の「筆屋幸兵衛」だった。
ところが実際行ってみると、一番目の「鎌倉三代記」に惹かれるものがあった。それは、これまた佐々木高綱初役の三津五郎が、50年ぶりに祖父八代目三津五郎が演じた「芝翫型」という古くて珍しい型で高綱を演じることを知ったからである。
めぐりあわせの不思議とは、ちょうどこのとき、その八代目三津五郎の著書『八代目坂東三津五郎の食い放題』*1光文社文庫)を読んでいたのである。原題『食い放題』(初刊1975年)。ちょうど今月光文社文庫に入ったばかりなのだ。
八代目三津五郎と言えば、わたしが知っているのは、歌舞伎に関する学殖の深さに定評があり、またグルメであって、それが嵩じて、河豚の毒にあたって亡くなってしまったということだった。
七代目が、六代目菊五郎や初代吉右衛門とともに二長町の市村座を拠点に活躍し、「踊りの神様」と言われ有名な役者さんであり、また九代目は亡くなる直前、かろうじてその舞台を観たことがある(記憶にはほとんどないが)。そしていまの十代目。だから、四人の三津五郎のなかで、八代目についてはもっとも接点が少なく、しかも亡くなり方で知っているという変なものだった。
歌舞伎座の筋書には、八代目が約50年前に演じた高綱の舞台写真一葉が掲載されている。怖いくらいの形相をしたものだ。ちょうど読んでいた文庫本でのイメージとのギャップが大きく、ここでも驚いてしまった。
子供の頃から、大人に連れられいいものを食べにいっていたから舌が肥え、食べ物については何かと一家言をもっている。器にも凝り、また自ら包丁を取って料理をこしらえる趣味もある。ある意味では嫌味な小うるさいじじいだ。
でもよくよく読んでみると、本書で幾度となく繰り返される、食べ物には時期と場所が大事だという指摘は理にかなっている。つまり食べ物には旬があって、その時期のものがもっとも美味しい。初物のように珍しくて高価なうちはまだ旬ではないので、食べてもあまり美味しくはない。
また素材には地域性があり、取れた地方で食べるものがもっとも美味しい。京都のものは京都で、北海道のものは北海道で。輸送手段や保存手段の発達により、東京にいながらにして全国各地の産物を食べることができるようになったが、やはり当地で食べるのとは大違い。

今日のように何でも手に入って、季節感なしに何でも食べられるということが進んでくると、しまいには丸薬を飲んでおけば食事はしなくてもすむ、チューブ一本流し込んでおけば半日大丈夫という、宇宙飛行士なみの食生活になっていくのではないだろうか。(110-11頁)
時代はサプリメント。まさに八代目が予見したとおりになりつつある。
八代目が自ら料理もできるようになったきっかけは、好きだからではない。芸道と関係がある。本書冒頭の一篇「私の食歴」で、七、八歳の頃、父七代目から、台所で女中さんのすることを見て覚えなさいと教えられた。芝居のなかで大根を切ったり味噌をすったりする場面が出てくるからだ。
そこで登場するのが奇しくも「鎌倉三代記」。すりこ木をうまく使えない時姫が、すり鉢で味噌を摺っているときに、あやまってすりこ木を庭に落としてしまう。この場面、すりこ木が使える役者ならば、庭に落とすのでも、落とし場所を自分でコントロールできる。ところが実際できない役者はどこに飛んでいくかわからない。
別の一篇「料理入門」で、こうした七代目の教えが格言として紹介されている。
「できる人間は、できないまねをできるが、できない人間は、できないまねもできない」
食べ物をさばくのも、食べるのも、いずれも芸に通じる。グルメ本としても辛口の評言が楽しめて面白いが、芸談の一種としても通用する本であった。