東宝争議を勉強する

文化と闘争

戦後日本映画を観て、それに関する本などを読んでいると、いやでも目に入ってくるのが「東宝争議」である。敗戦直後の1946年から48年までの足かけ3年、三次にわたって繰り広げられた映画人と経営側の大衝突。「来なかったのは軍艦だけ」という言葉で有名な大労働争議は、敗戦直後のGHQにおける占領政策の転換、労働組合運動史上でも重要な位置づけにあるのだという。
池袋新文芸坐での池部良特集で、池部さんのトークショーを聴きに行ったときにも争議が話題になっていたことを思い出すし、先日観た「女の四季」の冒頭で「東宝撮影所再開第一回作品」とあったので、またこの争議の存在を印象づけられることになった。
たしか池部さんのトークショー直後だったと記憶しているが、新聞で、井上雅雄『文化と闘争―東宝争議1946-1948』*1新曜社)という新刊の広告が目に入り、関心が動いた。
5700円もする高価な本である。今から考えても不思議であるが、そのときはどうしても手に入れて読みたいという衝動があった。本書もまた、大学生協書籍部から散々苛立たせられた挙げ句ようやく手に入ったものだったが、そうしてまでも手に入れて読んでみたい、そんな気持ちになっていた。先日「女の四季」が直接のきっかけで、この本を読むのは長い連休期間をおいてほかにない、でないと買ったときの衝動が薄まってしまう、そういう思いで手に取ったのである。
著者の井上雅雄さんは立教大学の先生で、専門は労使関係のようである。その意味で本書は純然たる学術専門書なのである。ただたんにこの時期の映画を好きで観ているだけの門外漢には歯ごたえがありすぎ、熟読してすんなり理解したというわけにはいかなかった。
もとより組合運動などにも関心が薄く、労働運動に対する知識程度も低いから、高価な本ではあったが全体は卒読、関心のある箇所だけ読み込むというのが精一杯。読み通せたのは、東宝争議への強い関心と本書購入への衝動ゆえだったと言うほかない。「知っておきたい」。ただただそんな思いで、ちんぷんかんぷんになりながら文章を追いかけていったのだった。
「来なかったのは軍艦だけ」というのは、第三次争議における1948年8月19日の仮処分執行を指す。赤字解消を理由に掲げた経営側の大量解雇通告が、組合員であることを理由とした解雇であると組合側従業員の反撥を招き、経営側は休業宣言とそれに続く撮影所閉鎖(ロックアウト)を敢行、組合員の強制的な締め出しに乗り出す。さらにそれに抵抗してバリケードを組んだ組合側に対する仮処分執行により、米軍の戦車までが出動して対処した。
このクライマックスは、本書ではせいぜい2頁強の部分でしか語られない。それまでの340頁が、そこに至るまでの第一次・第二次争議の経緯と双方の主張、問題点などが、経営側や組合側が出した関係資料を丁寧に読み込むことで跡づけられているのである。こうした労働関係文書は自分にとっては苦手の極に位置するもので、読み通すのには実に骨が折れた。
ただ少なくともわかったのは、東宝という映画会社の成り立ちとそのリベラルな社風の特質、戦争を経て戦後の争議に至るまでの経緯、第三次争議で決定的に衝突するに至る要因となった経営側の人事刷新(公職追放による上位陣の退陣と、映画のことをあまり介しない、労使関係の問題だけに対処した人事)、東宝の映画人たちが争議が推移するなか、少しずつ自分たちの守るべきものを自覚し、それを研ぎ澄ましてゆく過程である。

まさに芸術家と組合員にとって、東宝争議の本質、その真の争点は、「創造の自由」が経営的採算と赤色排除の名のもとに破壊されようとしたところにあったのである。(392頁)
東宝から分離した新東宝は、第二次争議における組合内部の分裂により、組合を脱退した大スター級の俳優たちや芸術家(監督・脚本家など)の受け皿として、全額東宝が出資した別会社として成立したものだという。労働争議の流れのなかで新東宝の位置づけを知ったことは、これからこの時期の新東宝の映画、またスター級俳優を失った東宝映画を観るうえでとても大切な経験となった。
フィールド・ワークを土台にした労使関係の現状分析が研究手法であった著者井上さんが、東宝争議をテーマに、文献資料の読解を基礎にした組合運動史の本書を執筆するきっかけは、「あとがき」によれば成瀬巳喜男監督の遺作「乱れ雲」を観たことの衝撃にあったという。
成瀬監督も終始組合に属して争議を闘いぬいた芸術家の一人だった(ただし発言らしい発言は本書では言及されていない)。成瀬作品のファンの一人として、ちょっぴりだけれど同じ土俵を共有している、そんな気持ちが本書をどうにか読み通せた一番の動機だったのかもしれない。