花の東京、夢のパラダイス

「東京ラプソデイ」(1936年、P.C.L.)
監督伏水修/原作佐伯孝夫/藤山一郎/椿澄枝/星玲子/井染四郎/御橋公/伊達里子/星ひかる/宮野照子/藤原釜足/岸井明

翌日から本格的に新らしき一年の仕事が始まる。年末年始のんべんだらりと過ごし、すっかり精神が緩みきった人間にとって、まことに憂鬱な連休最終日。
さあ明日から早起きだ。でもこのまま屈託を抱えて眠りたくない。何か景気づけにと、気分が明るくなる歌謡映画を観ることにした。昭和11年に作られた藤山一郎主演の「東京ラプソデイ」だ。
ストーリーは他愛ない。銀座にあるクリーニング屋の若旦那若原一郎藤山一郎)は、向かいの煙草屋の娘鳩子(愛称「鳩ポッポ」)と恋仲である。ある夜ビルの屋上で二人は逢い引きする。アコーディオンを弾きながら唄う藤山の歌声が、たまたま別のビルの一室にいた辣腕女性プロデューサーの耳に入り、彼はスカウトされて歌手デビューを果たすことになる。
たちまち人気スターの階段を登りはじめた藤山は、多忙のあまり、またプロデューサーの思惑で、恋人に会えなくなる。しかも宣伝の一環だとして、幼馴染みの芸者との恋愛発覚というゴシップ記事をでっち上げられ、それに接した恋人はただ泣くばかり。
案じた友人たちは芸者に掛け合い藤山と別れるよう談判する。もとより芸者は本気でなかったこともあり、恋人と女性二人意気投合、藤山も窮屈な新人歌手の仕事に嫌気をさし、歌手を辞めたいと言い出す始末。
この騒ぎにプロデューサーも折れ、藤山も廃業宣言を撤回、かねて用意していた新曲「東京ラプソデイ」を唄ってめでたしめでたし、という筋。ラストのシークエンス、登場人物が次々に出てきて東京の町なかで「東京ラプソデイ」を唄うシーンは高揚感にあふれ、塞ぎ気味だった気分もおかげですっかり晴れた。「♪楽し都 恋の都」という軽快なフレーズが頭にこびりつき、逆に気分が昂ぶってなかなか寝付けなくなってしまったほどだった。
大好きな「銀座カンカン娘」といい、この「東京ラプソデイ」といい、古い映画だけにとどまらず、いまの歌より古い流行歌(懐メロというべきか)に強く惹かれる体質へと変わってしまった。
思い立って川本三郎さんの『銀幕の東京』*1中公新書)をめくると、「東京ラプソデイ」は第二部「映画の東京」のなかの有楽町項に登場していた。戦前、数寄屋橋の下を流れていた外濠川を見事に捉えている作品として、この映画が第一に挙げられているのである。
川本さんによれば、「この映画は「五十銭で東京見物が出来ます」という宣伝惹句がつけられた東京観光映画でもあ」ったという。藤山一郎「東京ラプソデイ」は五番まで曲があり、一番から四番までの冒頭二小節の歌詞は「花咲き花散る宵も/銀座の柳の下で」「うつつに夢見る君の/神田は想い出の街」「明けても暮れてもうたう/ジャズの浅草行けば」「夜更けにひと時寄せて/なまめく新宿駅の」と東京の繁華街尽くしになっている(作詞門田ゆたか・作曲古賀政男)。
映画のラストでは、一番で銀座、二番でニコライ堂(「鳩ポッポ」の住まいはニコライ堂の見えるアパートだ)や聖橋から眺めるお茶の水、三番では藤原釜足・岸井明の特別出演があるなど(背景はやはり浅草か?)、まさに「東京観光映画」として大都市東京の姿が映し出される。
冒頭やラストでは、銀座四丁目のシンボル服部時計店(現和光)時計台が当たり前のように登場するわけだが、よくよく考えてみれば、この時計台が建てられたのは昭和7年のこと(前記川本書参照)。銀座のシンボル的存在として誰もがかならず思い浮かべる和光の建物は、当時にしてみればできてまだ4年、帝都の震災復興をあらわすシンボルとして、すこぶる新鮮な存在だったのに違いない。
「ああ、銀座四丁目交差点だ」「和光がある」と漫然と見過ごしがちだが、映画に映る銀座の時計台を観て、地方の人はどう感じたのだろうか、また、東京の人は新名所としての時計台が聳える銀座をどんなふうに受け止めたのかなど、思いは果てしなく広がってゆくのである。