立教大学が帝国大学

夏目漱石三四郎」(1955年、東宝
監督中川信夫/原作夏目漱石/脚本八田尚之/撮影玉井正夫山田真二八千草薫笠智衆/土屋嘉男/岩崎加根子江原達怡金子信雄村上冬樹平田昭彦/塩沢登代路

東京に住むようになってから『三四郎』を“東京小説”として再読し、新鮮な印象を受けたものだったが、そのときから6年以上が経過してしまった(→旧読前読後2000/10/24条丸谷才一さんのエッセイがきっかけだった。
だから今回その映画化作品である「夏目漱石三四郎」を観るにあたっては、当然“銀幕の明治東京”的な関心を持つことになる。とはいえ昭和30年代当時の現代ドラマたる映画を観て昭和30年代の都市風俗を愉しむのとはわけが違う。映画制作時点から50年遡った時代を描く内容ゆえ、完璧な明治の匂いをそこからかぎ分けるのは難しいだろう。
映画は前半までが断然面白い。後半、三四郎と美禰子のメロドラマになってしまい、観るほうとしては集中力が低下してしまった。
冒頭、熊本から上京する汽車の車中で出会った女性と名古屋で同宿し、「意気地のない人ね」と言われてしまう著名な場面は、原作に忠実につくられており愉快である。女性役がとても美しい塩沢登代路(とき)。あんな美貌の女性が蚊帳のなか同じ蒲団で寝ていて何もしなかったら、そう言われても仕方あるまいな。
上京してから、三四郎が与次郎に東京案内をされる場面は、牛鍋屋などが出てくるものの、都市景観をはっきり捉えているわけではない。期待した本郷界隈の風景では、赤門や「三四郎池」(ロケかセットか不明)は登場するが、大学構内は“国籍不明”という印象。帝大の建物として、わたしも見知っている立教大学のあの有名な校舎(「モリス館」)が登場するのだから。
たしか現在のモリス館はびっしり蔦に覆われているはずだが、映画では蔦がなく煉瓦造りの表面がそのまま映し出されているから、貴重なのかもしれない。あの建物の存在感はわたしも好きである。昭和30年当時の東大には、関東大震災のため明治の雰囲気を残す建物がなくなっているから仕方ないのだろう。
震災後昭和初期に建てられた建物だって立教の校舎に劣らずレトロなものだが、あまりに有名だし、極端に言えばまさか安田講堂の前を三四郎に歩かせるわけにはいかないだろう。だからといって立教大学三四郎が歩く姿を観ると、ちょっぴり興醒めしてしまう。
映画を観る前の期待ポイントのひとつに、団子坂菊人形の場面があった。イメージでは、団子坂の通り、坂道の両側に菊人形の見世が並ぶというものだったが、映画はそうでなく、平面的な空間に菊人形が展示されていた。実際はどうなのだろう。
広田先生らを誘い菊人形を観に行った一団から三四郎と美禰子二人きりで抜け出し、坂下の藍染川沿いを散策する。ここもどんなふうに描かれるか期待していた。映画の藍染川は、田圃の中を流れる小川という雰囲気で、これはわたしが原作を読んでイメージした光景とさほど違わなかった。でもいまの藍染川(暗渠)付近を考えると、明治の頃あのあたりが田園であったことは信じられないのだが、これも実際どうなっていたのか気になる。
広田先生は笠智衆。とぼけすぎの傾きがないではないが、やはり冒頭の汽車中で三四郎と同席するあたりのシーンが面白い。美禰子は八千草薫で、顔つきがまさしく八千草さんであり、変わらないことに驚く。
映画のタイトルにわざわざ「夏目漱石の」と付いているのは、当時「三四郎」といえば「姿三四郎」のほうが有名だったからなのだろうか。黒澤映画の印象が相対的に薄まった現在では、「三四郎」とくればやはり漱石が第一に浮かんでくるのではあるまいか。