「銀幕の東京」へ向かって

銀幕の東京

ラピュタ阿佐ヶ谷からメールで5月末から始まる次回特集の案内が届いた。「銀幕の東京―失われた風景を探して」という内容だ。これを見て、川本三郎さんの同名の著書『銀幕の東京―映画でよみがえる昭和』*1中公新書)を思い出さないわけにはいかない。
「あの特集、やっぱり川本さんの本にちなんだものなんですかねえ」。先日ラピュタ阿佐ヶ谷によく通う友人たちと呑んでいたとき、そんな話になった。それから気になったので同書をめくっていたら、やはり特集で上映される映画に触れられている。川本さんも同館によく通う方である。無断で書名を特集タイトルにするはずがないだろう。
どうせ特集を観に何度か出かけることになるのだから、その前に本書を通読し、どの映画を観に行くかの参考にするのも悪くないと、最初から読み直すことにした。以前一度通読しているが(→2003/8/30条)、それだけでなく、昔の東京が出てくる映画を観ると、同じ川本さんの『映画の昭和雑貨店』シリーズとともに、幾度も拾い読みすることになる本である。
最近観た映画の感想のなかで、「銀幕の東京」的視点、「映画の昭和雑貨店」的視点、「今ひとたびの戦後日本映画」的視点など、わけのわからぬことをたびたび書いているが、これすべて川本さんの本。これにくわえて濱田研吾さんの『脇役本』、鹿島茂さんの『甦る昭和脇役名画館』に触発された「脇役本」的視点というのもある。専門家でも物書きでもない素人なのだから、たとえ映画から大きなものがすくい上げられないとしても、こうした見方は許してもらえるだろう。
さて今回『銀幕の東京』を再読して、言うまでもなく特集上映を機に観に行きたいと思う映画が増えた。今回上映される映画のなかには、メインで取り上げられていたり(たとえば「銀座二十四帖」「洲崎パラダイス 赤信号」「煙突の見える場所」など)、何度も言及されている作品(たとえば「セクシー地帯」)もあれば、ほんのちょっとしか言及されていない作品、まったく触れられていないのではないかと思われる作品もある。わたしの勘違いかもしれないけれど、全面的に本に依拠しているわけではなさそうだ。
先日「東京のヒロイン」を観たとき、森雅之轟夕起子が銀座近くとおぼしい石畳の空間でバイオリンに合わせて踊るシーンがあった(→5/4条)。小公園のようになっていて、川端で、その川にはボートが浮かんでいたから、にわかに銀座と判断できずにいたのである。
ところが本書を読んで、これがやはり銀座であることが確かめられた。いまは高速道路になっている築地川端の東劇前には、昭和20〜30年代にボート小屋があって、ボート遊びができたという。澁澤龍彦の『狐のだんぶくろ』や、石井輝男監督の「セクシー地帯」が例示されている。「東京のヒロイン」のあの場面も、きっとここがモデルになっているのに違いない。
あるいはまた、先日フィルムセンターで観た「殺したのは誰だ」も登場する。佃島では、昭和30年代頃は腰巻ひとつで路地で七輪を仰いでいた女性がいたという証言の裏づけとしてあげられている。

実際、この発言どおり、「腰巻ひとつ」の女性が出てくる映画がある。昭和三十二年に作られた中平康監督のサスペンス映画の快作「殺したのは誰だ」で、菅井一郎と山根寿子が交通事故で死んだ殿山泰司佃島の家を訪ねる場面で、夏の暑いさなか、中年の女性が腰巻ひとつ(上半身は裸)で歩いている。子供たちは裸である。超高層マンション大川端リバーシティ21」(平成二年完成)のある現在の佃島からは考えられない光景だ。(151頁)
たしかにこの場面を観て、「ええっ」と驚いたことを思い出した。これまた川本さんはぬかりない。
最後に、今回の特集で上映されないが、本書を読んで観たいと思った映画についてメモしておく。
昭和三十二年に作られた松林宗恵監督の「ひかげの娘」はこの芳町を舞台にしていて、山田五十鈴が待合の女将を演じている。娘は香川京子。この映画はまだ埋められる以前の、掘割に囲まれた中洲(小山内薫の「大川端」や佐藤春夫の「美しい町」の舞台になった、隅田川に浮かぶ小さな島。現在、箱崎のシティエアターミナルのあるあたり)がとらえられていて、貴重な映像資料となっている。(34頁)
待合の女将山田五十鈴と娘香川京子という取り合わせ。うーん、観たい。上記「美しい町」を素材に大正時代の中洲を捉えた『大正幻影』*2ちくま文庫)という著書のある川本さんからこう書かれると、いつの日かと心に念じたのだった。