川島雄三のデビュー作

「還って来た男」(1944年、松竹大船)
監督川島雄三/原作・脚本織田作之助佐野周二田中絹代笠智衆/三浦光子/日守新一/草島競子/吉川満子/小堀誠/文谷千代子/辻照八

川島雄三の監督デビュー作がこの「還って来た男」だという。昭和19年(1944)7月封切で、終戦前の川島作品はこれ一作のみ。年表を見ると、同じ月サイパン島が陥落し、翌月から学童疎開が始まるとあって、戦況は完全に敗勢に傾いていたはずである。なのに映画からはそんな様子は感じられない。まあ当たり前だろう。国民に見せる映画でそうした状況がわかるわけがなく、逆に戦意を鼓舞しなければならないはずだから。
そうとわかっていても、この映画にただよう明るさは驚きだった。主演の佐野周二は南方から内地に帰還した軍医(=「還って来た男」)で、何かにつけて早合点でそそっかしいという短所をもつ。そんな役柄が佐野周二にはぴたりとはまる。
実家へ向かう汽車の車中で向かいの席にすわった三浦光子と将棋を指したり、その三浦光子は父の遺品であった仏像の売られた先を尋ね回って奈良や京都の骨董屋をめぐり、ようやくたどり着いたのが骨董趣味のある笠智衆だったり、メロドラマからちょっとずれた感覚がたまらなくいい。しかも、佐野と奈良や京都で何度も運命的な出会いをする三浦は、佐野の見合い相手ではないのである。となると見合い相手は、出演陣を見れば誰だかわかるだろう。
1937年の「花籠の歌」では友人同士だった佐野と笠が親子役になっていて(実際は笠が8歳年上で、当時40歳!)、それがもうすっかり板に付いている感じであることに苦笑。
この人に会うと必ず雨が降ると近所の人に噂される「雨男」で新聞記者の日守新一(たたずまいが都会的)と、彼が恋心を寄せる草島競子が南方で働くことを志したり、京都から名古屋に勤労動員された子供が何度も家に逃げ戻ってくるので、とうとう父は決意して「一緒に工場で働こう」と家族で名古屋に出かけたりと、戦意高揚に気を配ったシーンがある。川島雄三が戦争に対しどのような態度をとっていたのか、全然知らないのだけれど、このような戦争への配慮は隠れ蓑に過ぎないのではあるまいか。とりあえずそうしたシーンで当局の目をくらましたうえで、実は本当の喜劇を作ろうとしたのかもしれない。
佐野周二田中絹代と草島競子が勤める小学校のマラソン大会に飛び入り参加を求められたとき、「巻脚絆(まきぎゃはん)を貸してください」と言っていた。ゲートルのことである。ちょうどいま読んでいる小説にもこの言葉が出てきており、どうやらゲートルは敵性語だったため戦争終盤の頃は自粛されていたらしい*1。戦時中の映画でそんな実例を偶然確かめられたことが、わけもなく嬉しい。

*1:日本国語大辞典 第二版』をひくと「巻脚絆」の用例として『暗夜行路』(1921-37)が掲げられているから、言葉自体は戦前からあったようだ。