日記拾読

ひろいよみロッパ日記(4)

『古川ロッパ昭和日記 戦後篇』*1(晶文社) 三月八日(水曜)晴曇(前略)成城、小野田の二階、又こゝに当分暮すのか。何よりいやなのは此処の洗面所、腰かゞめてゐる間のいやさ。春既に来りしか、ひどく暖かし。朝食は、海苔と卵と味噌汁だけなのはひどい…

ひろいよみロッパ日記(3)

昭和20年11月13日条 七時半に眼覚め、枕もとのシナリオ「東京五人男」を読む。面白い。企画、狙ひが珍しく頭がいゝ。但し、僕の役は、ちっともよくないが、まづ、此の位のものなら乗れる。一座の皆にも役が拾へさうだから楽しみ。比(ママ)の位のものを、二…

ひろいよみ酔いざめ日記(2)

昭和16年11月19日条 夜、井伏氏邸訪問。先客二人あり、一緒に外出するところ、太宰、亀井酒一升持参で来訪するに逢い、おでんやで五人でのむ。井伏邸にかえり又のむ。小生バツが悪かったが同座す。一寸の間と思っていたのに、荻窪駅へ来たら下り終電車だけで…

ひろいよみ劉生日記(1)

大正10年10月15日条 昨夜おそかったので今日は九時半におきる。床の中で新聞みたら『読売』に加藤だろうと思う男が余が如才なくなったとかいや味な事をかいていたのでいやな気持がした。しかし、結局他人に何と思われても自分は自分の仕事を世界にのこせばこ…

ひろいよみ酔いざめ日記(1)

昭和39年2月29日条 辰野隆氏死去。二十八日午後十一時二十五分、虎ノ門共済病院で胃癌のため死亡。七十五歳。告別式は自宅練馬区立野町にて。(東京新聞)びっくりした。小生の近くで散歩の途上によく出逢ったが目礼するだけであった。足どりに少し元気がな…

ひろいよみ断腸亭日乗(12)

昭和12年(1937)5月12日条 天気快晴。薫風颯々たり。早起机に憑りて草稿をつくる。午後一睡また読書。日の没するを待ちて門を出づ。銀座に飯して玉の井に至る。昭和病院裏の空地に曲馬の見世物あり。路地を一めぐりして白髭橋に至り円タクに乗る。車は三輪…

ひろいよみロッパ日記(2)

昭和12年(1937)5月11日条 十時半起き。日劇の事務所へ。那波光正と樋口とで話す、全く小林社長引退は困る。又々秦がシャ\/り出て、奮慨の種をまき散らすのではあるまいか。ビクターへ行く。鈴木静一の曲をけい古するつもりでゐたのに、ゐないので出来な…

ひろいよみ夢声日記(1)

昭和17年1月31日条 岩田牡丹亭と錦城出版社を訪れ、ブラブラ清水谷から四谷へ出る。松葉屋でニッカ一本手に入れる。牡丹亭は葡萄酒を一本。元日約束のサント十二年をとりに牡丹亭荻窪まで来る。仏印コーヒーを入れる。「南の風」に仏印コーヒー礼讃を書いた…

ひろいよみロッパ日記(1)

昭和17年1月31日条 (…)今朝は東京から持参の井上叔母製るところの焼売の如きを、たっぷり食った、これから先の食事、何うなることか。書生等は朝食食ふところなく、僕らの残りをがっつく有様。(…)七時に終って渡辺・石田と新大阪のバーへ近藤清を訪れる…

ひろい読み断腸亭日乗(10)

昭和7年8月17日条 八月十七日。晴。法師蝉始て鳴く。夜銀座に飯す。帰途芝兼房町の巡査派出所に人多く佇立むを見て、何事ならむと立寄り、様子をきくに、女子に化けたる男この辺のカフヱーに女給となりて住込みゐたる事露見し、派出所より愛宕町の警察署に引…

ひろい読み断腸亭日乗(9)

昭和12年8月1日条 八月初一〈旧六月廿五日日曜日〉 炎暑ます\/甚し。(…)水天宮より車を倩ひ葛西橋に至り放水路の晩景を看る。土手の草は日照りつゞきに色あせたるが上に砂ほこりを浴びたり。河水は濁りて波高く橋下の磧に打寄せ淙々たる響をなす。橋際に…

ひろい読み断腸亭日乗(8)

大正15年7月30日条 七月三十日。空晴渡りて炎暑昨日に比すれば稍忍易し。晩間遠雷殷殷、驟雨沛然たり。山形ホテル暑中旅客なく、食堂を閉す由なれば、銀座風月堂に徃きて食事をなす。帰宅後小説の草稾二三枚をかき得たり。「遠雷殷殷、驟雨沛然」なんていう…

ひろい読み断腸亭日乗(7)

昭和7年7月22日条 七月廿二日。空よく晴れ日の光焼くが如く風そよ\/と吹き通ふ。いかにも東京の夏らしき日なり。夜銀座二丁目の洋食屋にて神代君に逢ふ。「空よく晴れ日の光焼くが如く風そよ\/と吹き通ふ」というのが「いかにも東京の夏らしき日」と荷風…

ひろい読み断腸亭日乗(6)

昭和22年7月20日条 七月二十日。日曜日。晴。土用の入。風ありて暑気稍忍び易し。 此頃の闇値一鰻蒲焼一串 二拾円より四拾円(以下略)今日は土用丑の日。いまは一串いくらだろう。週刊朝日編『値段の明治大正昭和風俗史(上)』*1(朝日文庫)によれば、昭…

ひろい読み断腸亭日乗(5)

昭和8年7月25日条 七月廿五日。晴れて風涼し。森潤三郎氏著紅葉山文庫と書物奉行をよむ。此夜九時より十一時迄銀座通京橋区一帯防空演習のため燈火を消す。カツフエーは燈火消滅のころいづこも大に繁昌したりと云。わが郷里山形市で日本最高気温40.8度を記録…

ひろい読み断腸亭日乗(4)

大正15年7月17日条 一昨夜木曜会席上にて葵山子と帝国劇場にて会ふべきことを約したれば、晩食すませて後家を出でたり。帝国劇場観覧席床下より化学作用にて冷風を吹上げ、場内の空気を転替せしむる仕掛をなす。初めは涼味を覚えて心地よけれど、長く座に在…

ひろい読み断腸亭日乗(3)

昭和4年7月16日条 ・七月十六日 朝の中既に八十五六度の暑なり、午後書鹿〔たけかんむりあり〕を曝す、旧友の書簡多きが中に押川春浪有島武郎井上唖々の如き今は世になき人々の手紙多くあり、徃時を憶うて悵然たることしばらくなり、晩凉を待ち三番町に徃き…

ひろい読み断腸亭日乗(2)

昭和15年7月15日条 七月十五日。晴。炎蒸いよ\/堪難し。午後平井猪場氏来話。相携へて芝口の千成に飯し汐留橋の欄干に凉を納む。この橋上と信楽新道松阪屋裏四ツ角との二箇所はいかに暑苦しき夜にも凉風の来るあり。銀座辺にて最も凉しきところなり。橋上…

ひろい読み断腸亭日乗(1)

昭和14年7月7日条 七月七日。晴また陰。溽暑甚し〈摂氏二十五六度〉 未明に起きたれば庭を帚き草を抜く。(〈 〉内は割書)荷風さんが現在の東京に住んでいたら、この摂氏三十五度の暑さに耐えられるのでしょうか。