ひろいよみロッパ日記(3)

  • 昭和20年11月13日条

七時半に眼覚め、枕もとのシナリオ「東京五人男」を読む。面白い。企画、狙ひが珍しく頭がいゝ。但し、僕の役は、ちっともよくないが、まづ、此の位のものなら乗れる。一座の皆にも役が拾へさうだから楽しみ。比(ママ)の位のものを、二三ヶ月も前に貰って、ゆっくり手を入れるといふことが必要である。このシナリオにしてからが、新東京建設のための破壊面はよく描けてゐるが、建設面が物足りない。
「東京五人男」を撮影した当時の記事がないものかと『古川ロッパ昭和日記 戦後篇』(晶文社)を繰ってみると、予想以上にあるわあるわ。けっこう面白くてそのままずいずいと日記を読み込んでしまった。
映画は上でロッパが脚本を読んだ一週間後の20日にクランクインし、約一ヶ月後の12月15日にクランクアップした。ロッパやエンタツアチャコが住むバラック小屋は、日記を見ると、何と渋谷百軒店、円山町付近の焼跡に屋外セットが組まれていたというのだから驚いてしまう。あの一面の焼け跡は渋谷なのだ。60年後の渋谷の町を頭に思い浮かべ、しばし呆然とする。
エンタツアチャコは都電の車掌と運転手なのだが、彼らの乗る都電が走る周囲はこれことごとく焼け跡。軌道の石畳と電線だけがちゃんとあって、都電はたくさんの人を詰め込んで焼け跡のなかを走る。もっとも車輌の扉は木でできているのだが。
ロッパが脚本を読んで漏らした感想は実に鋭い。映画を観ると、物資配給をめぐって儲けようとする人々や、規則をふりかざす煩わしい役人どもという「破壊面」がとても面白いいっぽうで、ロッパらが彼らを懲らしめようと立ち上がり、最後は朗らかに「たのしい東京」(だったかな?)と唄いながら焼け跡のなかをデモ行進するラストまでの後半部分はダレ気味でいまひとつだったからだ。
ロッパの役どころに面白味がないのもそのとおりだし、批評家ロッパの面目躍如といった記事だろう。批評家という言葉が出てきたついでに、ロッパはこの映画における斎藤寅二郎監督の演出について、こう論じている。
斎藤寅次郎の庶民的感覚ってのは実に特異なものがある、子供たちが、片手に藷を持ち乍ら、紙のヒコーキを盛に飛ばしてゐる、そのアップになると、紙は、百円紙幣である。かと思ふと、オッサンの百姓は、ゴルフパンツで肥槽を担ぐといったわけで、チャップリンの庶民的神経を、日本的に身につけてゐると言っていゝ。(11月23日条)
ロッパに言わせると、あの高勢の家のシークエンスは、チャップリン映画の日本版なのか。何度でも観たいと思わせる映画だった*1

*1:なお、この映画については片岡義男『映画を書く―日本映画の原風景』(文春文庫、ISBN:4167656035)にも一項立てられ、論じられているが、未読である。