焼跡の東京、敗戦直後の日本人

「東京五人男」(1945年、東宝
監督斎藤寅二郎/古川緑波横山エンタツ花菱アチャコ石田一松柳家権太楼/高勢実乗/鳥羽陽之助/永井柳筰/高堂國典/小高つとむ/石田守英

欲しいと涎をたらした本も、観たいと願った映画も、時間さえかければいずれ入手できるし、観ることができる。とりわけ東京という大消費都市の場合、その時間は相対的に短いようだ。東京という都市のなかで、気息奄々日ましに辛さがつのる生活を強いられる身にとって、その代償としてせめてそんなメリットがなければ生きてゆかれない。
むろんネットの普及も忘れていけないだろう。戸板康二さんの雅楽物ミステリも、木山捷平の『酔いざめ日記』も、そんなこんなで思った以上に早く手元に到来し、先日は「三等重役」も観ることができた。今日観た「東京五人男」もそのリストに加わることになる。長らく観たいと願っていた映画だった。
「長らく観たい」と思ったきっかけは何だろう。小林信彦さんの文章だったような気がするけれど、いま『一少年の観た〈聖戦〉』*1筑摩書房)をめくっても触れられておらず、『ぼくが選んだ洋画・邦画ベスト200』*2(文春文庫)にあげられているわけでもない。『和菓子屋の息子』*3新潮文庫)にも見えない。
唯一、『日本の喜劇人』*4新潮文庫)のなかに、ロッパと高勢実乗がからんだこの映画のスチール写真が掲載されているが、文中に映画のタイトルが登場するわけでもない。そもそもこの本は最近読んだばかりだ。ではいったい何だったのか?
スチール写真といえば、川本三郎『続々々・映画の昭和雑貨店』*5小学館)の「闇屋」項に、大きく写真が掲載されている。これまたロッパと高勢がからむシーンで、モーニングにシルクハットをかぶった高勢が、同じ扮装のカカシを抱えて指さしているのをロッパが苦々しげに見るシーン。これかもしれないなあ。
終戦直後徴用から東京に戻ってきた五人男(ロッパ・エンタツアチャコ石田一松・権太楼)が、焼け跡の広がる東京の町で活躍する喜劇映画。疎開中の子供に食べ物をと、近在の百姓家を訪ね恵与を懇願するロッパ。最初に訪れたのが強欲百姓の高勢。モーニングで農作業をしているのがまず笑える。
子供は百円札で紙ヒコーキを作り、庭先に応接セット、珈琲を出させると、砂糖を入れすぎて甘いと捨ててしまう。テーブルにある果物も悪くなっていると家畜に与えようとする。
ロッパが交換品で持ってきた亡妻の形見の着物も、寝巻にもならないと突き返される。寝巻は縮緬なのだという。ではと腕時計を差し出そうとすると、高勢も腕に三つも腕時計を巻いているうえ、行李のなかに時計が無造作に入っているのを逆に見せられる。窮したロッパは、自ら来ているジャケットを差しだそうとするが、高勢はそれを絞って生地の具合を確かめたうえ、黙って畑のほうを指さす。そこには立派なモーニングを着たカカシがいる!
この時期一部の農家が食べ物をため込んで、それでボロ儲けしていたということへの諷刺なのだろう。次いでロッパは高堂國典の百姓を訪ねると、こちらは正反対にやさしく善良で大盤振る舞い。両手に背中のリュック、そして首に風呂敷包みをかけ、歩けなくなるほどたくさんの食糧を持たされる。これもギャグなのだ。
それにしても、「アノネのオッサン」高勢実乗の異貌と台詞まわしは際だつ。「ワシャカナワンヨ」の決め台詞こそないものの、存在だけで笑えるのである。色川武大さんも『なつかしい芸人たち』*6新潮文庫)のなかで、この映画の高勢について「モーニング姿で肥桶をかついでいる彼が、まだ眼に残っている」(31頁)と書く。
この映画では、疎開から戻ってきた一人息子とドラム缶の風呂に入り、「狭いながらも…」と朗らかに唄うロッパの歌声に聴き惚れた。三番までたっぷり聴かせてもらう。美声である。
二人が風呂から出ると、隣人のエンタツアチャコが次に入れさせてくれと言ってくる。結局二人で風呂に入って、彼らの漫才はこうであったかと彷彿とさせるような愉しい掛け合いを見せる。この映画の随所にエンタツアチャコが彼らの芸を見せるシーンが仕掛けられており、ボケと突っ込みの間合いの妙に笑いが止まらなかった。
戦後60年も経ったいまだから、焼け跡の配給所や「国民酒場」にずらりと行列ができて、そこの職員が物資を横流ししたりインチキして身を太らせる行状を見て笑っていられるものの、封切られた当時、あるいはこの時代を知っている人たちにとって、私が笑ったと同じ気持ちで笑えた(笑える)のだろうか。
佐藤忠男さんが『映画の中の東京』*7平凡社ライブラリー)で、この映画について詳しく書いている。佐藤さんは少年飛行兵から郷里に帰ってきたばかりでぶらぶらしていたとき、この映画を観たという。「たしか椅子のない映画館で立って見たように記憶する。椅子の鉄の部分を戦争末期に供出させられていたからである」(124頁)。
そしてロッパがドラム缶風呂で唄うシーンを観て、「負けてむしろよかったのかもしれない」という気分に襲われる。

戦火を生きのびた父と子が焼け跡の野天風呂に身をよせあって微笑んでいるということの哀感に身をまかせ、古川緑波の美声にうっとりしたとき、〝国破れて山河あり〟という名文句がせつなく私の頭をよぎり、戦争に負けたって平和のほうがいいという思いがこみあげ、ゾクゾクッときて、そしてついでに、「お殿さまでもおいらでも、風呂に入るときゃみな裸」というのが民主主義の平等というやつらしい、という気分に打たれたのだ。私の長い映画鑑賞歴の中でも記憶されるべき一瞬であった。(125頁)
フィルムセンターの座り心地のいい椅子でのんきに笑って観ている自分とくらべると、その迫真性に胸を打たれる。当時の人々はみんなこういった気持ちでこの映画を観ていたのかもしれない。