原節子肖像集

「風ふたゝび」(1952年、東宝
監督豊田四郎/原作永井龍男/脚色植草圭之助原節子池部良山村聰/三津田健/杉村春子/浜田百合子/龍岡晋南美江/御橋公/菅原通済/十朱久雄

1951年9月、林芙美子朝日新聞『めし』を連載していた途中で急逝したのを受け、あとを引き継いだのは永井龍男だった。それがこの映画の原作である。
「めし」はその年の11月に成瀬巳喜男監督、原節子上原謙で映画化されている。いま思うと、林芙美子の急逝から二ヶ月ばかりで映画(しかも傑作)を作りあげた当時の映画界の馬力に驚かざるをえない。
「めし」で高い評価を得た原節子の次の出演作がこの「風ふたゝび」であったことは奇縁である。ちなみに原節子は「めし」の前に小津安二郎監督の「麦秋」に出演している。この時期彼女の全盛期だったとも言えるだろう(翌53年に「東京物語」)。
「めし」での生活やつれした主婦役や、のちの「驟雨」での夫に不満を持つ主婦役、「娘と私」で夫(山村聰)に愚痴愚痴と文句を言う後妻役の原節子が好きな私にとって、この「風ふたゝび」のようなお嬢様役は、「いかにも原節子」という雰囲気がみなぎりかえって引いてしまう。あの顔立ちのせいもあろうが、こってりしすぎて胸焼けしそうだったと言えば、原節子に対する冒涜だろうか。
大実業家の山村と、病気で倒れた大学教授の父(三津田)を預かってくれた元教え子の池部の間で、原の心は揺れ動く。正統派のラブストーリーにちょっと辟易しながら、細部を愉しもうという心になっている。
たとえば山村聰。老優というイメージだし、この映画でも貫禄のある実業家役なのだが、風貌は目がくりくりして若々しい。この山村が演じた実業家は、実在の人物で「政界の黒幕」と言われた菅原通済をモデルにしているという。しかもその菅原自身も「菅原」という山村の友人役でゲスト出演しているのだ。脇役者としての菅原通済、およびこの映画における彼の演技については、濱田研吾さんの『脇役本』*1(右文書院)に詳しい。本物の酒を振る舞われ、酔って共演者の杉村春子にセクハラまがいの行為をしたというのだから笑える。映画では杉村の肩を抱いているシーンがあった。
晦日に原の叔父宅で障子の張り替えをやっていたり、山村の屋敷では大掃除をやっていたりと、いまは忘れられつつある「大晦日の風景」。「『風ふたゝび』の昭和雑貨店」というおもむきだ。
ところでこの映画のカメラマンは原の実兄会田吉男だった。千葉伸夫『原節子―伝説の女優』*2平凡社ライブラリー)によれば、「監督はまるで『原節子肖像集』でもつくるつもりかと疑われるほどクローズアップを連発しているが、実に美しい幾瞬間かがあり、その意味では成功している」と評されたという(312頁)。
ただし千葉さんは、この映画を〝原節子肖像集〟に仕立てたのは豊田四郎監督ではなく、カメラマンの会田の無意識だったと指摘している。この「こってり感」はクローズアップの多用によるものだったのか。