ひろいよみロッパ日記(1)

(…)今朝は東京から持参の井上叔母製るところの焼売の如きを、たっぷり食った、これから先の食事、何うなることか。書生等は朝食食ふところなく、僕らの残りをがっつく有様。(…)七時に終って渡辺・石田と新大阪のバーへ近藤清を訪れる。だまって一本、ホワイトホースを抜いて呉れ、グリルで定食(魚ばかり)を食ひ、大空てふカフエから大雅へ寄り、食物何処も何もなし。くさって十一時すぎ帰宿。
対米開戦から一ヶ月あまり経過した時期。もうすでにこの時点から食糧不足に陥っていたのかと驚いた。
断腸亭日乗』をめくってみると、「この頃食料品不足のためヴイタミン欠乏し病に抵抗する力薄弱となりしもの甚多し」(同年1月26日条)とか、「午後銀座通買物。資生堂洋食店モナミ其他休業する飲食店追々目につくやうになりぬ」(同28日条)とあるから、やはり東京・大阪といった大都市では食糧不足が深刻になりつつあったのだった。2月に入り荷風は知人から羊羹を分けてもらい、「甘き物くれる人ほどありがたきはなし」と記し、あじきなき浮世の風の吹く宵は人のなさけにしぼる袖かな」という歌まで詠んでいる(2月2日条)。