橋の展覧会ふたつ

千住大橋展

  • 企画展 隅田川の橋づくし@タイムドーム明石
  • 企画展 千住で一番江戸で一番千住大橋展@荒川ふるさと文化館

長男を連れて散歩に出かける。今日の目的は、ふたつの区立ミュージアムで開催中の、隅田川に架かる橋梁に関する展覧会。別に連動しているわけではなかろう。いい機会なので同じ日に観ることにした。
まず中央区立郷土天文館、愛称タイムドーム明石で開催中の「隅田川の橋づくし」展(3/2まで、入場無料)。中央区にある清洲橋永代橋勝鬨橋(正確には清洲橋永代橋江東区との間にまたがる)三橋の重要文化財指定を記念して開催されたもの。永代橋は大正15年(1926)、清洲橋昭和3年(1928)、勝鬨橋昭和15年に竣工している。
タイムドーム明石は、その名のとおり明石町の聖路加国際病院の目の前にある。橋の展示自体は、それほど広くない特別展示室一室の壁面三面分を使った小規模なものだった。
隅田川に架かる中央区の橋としては、ほかに新大橋がある。橋の歴史としては、江戸時代からあった新大橋が最も古いのだが、建築物としては近年のものである。「旧新大橋」は明治村に移築されており、橋名板のみ同館が所蔵する。日を限って特別公開するとのこと。
「郷土天文館」というくらいだから、郷土博物館的役割のほか、プラネタリウム施設も持っている。長男用のアトラクションとして、一緒にプラネタリウムを観ることにする。区外在住者は大人も子供も入場料300円。番組は冬の星座と「ピーターパンと星の国」ふたつをそれぞれ20分程度。親子連れが五、六組ほどと閑散としている。日曜午前中はそんなものだろうか。
「ピーターパンと星の国」は星空を観るというより、ストーリーのあるアニメ風なので、休み時間とばかり眠ってしまった。それに対して冬の星空を見せる前半は、一般的なものだが面白かった。オリオンアルファ星ベテルギウス、小犬座アルファ星シリウス、大犬座アルファ星プロキオンが形づくる「冬の大三角」は知っていたが、シリウスプロキオンに加え、双子座ベータ星ポルックス、牡牛座アルファ星アルデバラン、オリオン座ベータ星リゲルの六つを結び「冬のダイアモンド」と呼ぶことは知らなかった。
ポルックスプロキオンアルデバランやリゲルなど、子どもの頃に夢中になって憶えた星たちの名前を耳にして懐かしかった。いまの東京の明るく狭い夜空では、オリオン座やシリウス程度しか確認できないから、せめてプラネタリウムで星空の素晴らしさを知ってくれればいいのだが。
以前新一葉記念館を訪れたとき、台東区で制作した『旧町名下町散歩―改訂版―』の充実ぶりに感激したが(→2007/6/2条)、中央区でもこれに負けず充実したガイドブックを出している。昨年11月に刊行された『区政施行60周年記念 中央区歴史・観光まち歩きガイドブック』である。
中央区といえば、銀座・日本橋・京橋・八重洲、そして築地に月島・佃島といった古い町、名所を抱えている。区内を七つのブロックに分け、旧町名解説はもちろん、観光名所の解説もあり、さらに明治の参謀本部作成地図が掲載されて現代の地図と比較することもできる。台東区の場合と同じく、昔の地図を眺めてまったく見飽きない。頒価1000円とこれまたお買い得な本だ。
タイムドーム明石を出て、近くにある聖路加タワーに入り、47階にある展望室まで登ってみる。父親は高所恐怖症の気味があるのだが、子どもは逆に高いところを喜ぶ。東京タワーの階段を上り下りしたいというのだから気がしれない。
もっとも真下を見るのは怖いけれど、遠くを眺め見ることは嫌いではない。眼下に一望できる月島や晴海・勝どきの埋立地だけでなく、その向こうにお台場も見える。また築地市場築地本願寺を上から眺め、汐留の高層ビル群の向こうに、東京タワーの上半分がのぞく。
この聖路加タワーには、東京に住んだ当初一度訪れたことがある。八、九年ぶりになろうか。たぶんそのころは東京タワーももっと見えたに違いない。東方向・北方向に向いた窓がないのが、この展望室の残念なところ。
築地駅から日比谷線に乗り、南千住で降りる。南千住から旧日光街道コツ通り)を北に向かい、国道四号線と交わってから反対側に渡ると素戔嗚神社があり、その隣にあるのが荒川区立の荒川ふるさと文化館である。ここで開催中の企画展は千住大橋展である。昨年の12月12日、千住大橋が鉄橋化されて80周年を迎えたのを記念して開催されたもの。
千住大橋もまた、タイムドーム明石で見てきた清洲橋永代橋などと同時期に架橋されたわけだが、浅草の吾妻橋以下、勝鬨橋まで、隅田川の目立つ位置に架かっている橋にくらべ、芭蕉奥の細道の旅の起点となり、真山青果の作「将軍江戸を去る」の幕切れで徳川慶喜が渡ったことに代表されるように、江戸の境界に位置し、現在も荒川区と足立区という中心部から離れた場所にあるせいか、仲間はずれのきらいがあってかわいそうな感じがしていた。
こちらは中央区の展覧会とくらべ、堂々たる企画展で、100頁にわたる図録が出されており、しかもそれが300円という安さ。びっくりしてしまった。江戸時代以来、奥州・日光への(からの)玄関口となった千住大橋の歴史を見わたす充実した展覧会だ。
いま架かっている千住大橋の前、明治・大正の大橋は木橋だった。荒川放水路開設のきっかけとなった明治43年の大水害でも大橋は流失をまぬがれた。橋のすぐ真下まで隅田川の水がせまった「水害絵葉書」に迫力がある。
荷風断腸亭日乗昭和9年2月3日条部分がパネル展示されていた。千住大橋の北詰から見える工場の煙突と富士山の山影を描いたスケッチの部分である。いまから74年前のほぼ同じ頃、荷風はこの場所まで散歩の足を伸ばしていた。
昭和2年に鉄橋化されたのち、前の木橋の橋杭が譲られたり、橋材の一部を使って翁やお多福の人形が彫られ、地域の人びとにもたらされたという。
かわったところでは、石橋正次さんのレコード「千住大橋」。昭和50年に放送されたドラマ『俺たちの旅』の挿入歌だという。わたしも聞いたことがあるのかもしれない。歌詞カードを見ると、若尾文子のカレンダー/壁紙がわりに貼りつけて/お前を部屋に呼んだ夜」などという一節がある(作詞喜多条忠)。「着たきり雀のジーパンはいて/千住大橋たたずめば/頬にポツンと小雪が落ちてきた」。ことほどさように、千住大橋のイメージはこのような侘びしいものなのだ。