ジェリーの陰に隠れて

「偽大学生」(1960年、大映)※二度目
監督増村保造/原作大江健三郎/脚本白坂依志夫ジェリー藤尾若尾文子藤巻潤/村瀬幸子/船越英二岩崎加根子中村伸郎伊丹一三/三津田健/高松英郎/三田村元/大辻伺郎森矢雄二

仕事帰りに渋谷までわざわざ出かけてゆく気力が沸かず、どうしようか迷った挙げ句、前回観たときの感想(→2006/7/6条)で「今回の企画は貴重な機会だったわけだが、また将来上映の機会があったら、逃さず再見したいものである」と書いたのを思い出し、萎えかかった気力をふりしぼって観に行くことに決めた。あれから1年半経つのか。たかだか1年半のスパンで再見の機会を得るのだから、つくづく東京はありがたい都市だと思う。
わたしには珍しく上映開始直前シネマヴェーラにたどり着き、上映が始まると、前回同様惹き込まれ、あっという間にラストになってしまう。
ジェリー藤尾畢生の傑作であり、また増村保造監督の代表作に挙げてもいいのではないかというほどの作品だと思う。もとより増村作品を観尽くしたわけでないから偉そうなことは言えないが、緊張感を持続したまま観終え、素晴らしいと感じた「くちづけ」「親不孝通り」「兵隊やくざ」「陸軍中野学校」以上に大好きな作品。
この作品はジェリー藤尾に尽きるのだけれど、その蔭に隠れてと言うか、さすがと言うか、若尾文子の存在感も抜群だ。ジェリーを監禁する東都大学歴史研究会側の女子大生であり、自由主義学者中村伸郎の娘である若尾さん、この作品での彼女の美しさは、若尾文子主演を前面に打ち出した、官能的な、あるいは明朗な、あるいは愛らしい作品のどれにも増して際立っていると感じる。
姿形はふつうの女子大生に過ぎない。ジェリーが過剰であるぶん、目立たず抑え気味の演技。でも増村監督は彼女の官能的存在を十分認識しているから、うまい具合に彼女の足のショット(鎌倉にある父の家を訪れる時に砂の上を歩く後ろ姿、藤巻潤との情事での太腿)などを入れ、また物憂げな仕草からエロスが漂う。
監禁しているジェリー藤尾にパンを食べさせてやるときの、猛獣に餌をやるような及び腰の雰囲気や、猛獣でも不潔な獣を蔑んで見るときのしかめた顔つき、どれも素晴らしい。
ジェリーの過剰を若尾文子の存在が引き立てているいっぽうで、その過剰を抑えながら登場したラストのジェリーの前に、慟哭の芝居でジェリーの爆発を予感させる母親役村瀬幸子さんの存在感も印象深い。
帰り道、渋谷から半蔵門線に乗り、表参道で千代田線に乗り換えたところ、乃木坂駅で電車が止まった。西日暮里で人身事故があり、当分運転再開の見込みがないという。
あいにく地図は携えていない。一つ前の表参道や、次の赤坂なら乗り換えもスムーズにできたのに、よりによって乃木坂かと思っていたら、日比谷線六本木駅に振替乗車可能と構内アナウンスがあり、それによって多くの人が動き出したので、わたしもついていくことにする。
乃木坂から六本木、思ったほど近かった。歩いて10分程度か。しかも途中東京ミッドタウンがある。東京ミッドタウンができてからこの界隈を歩くのは初めてだから、思いがけない機会、ちょっぴり興奮した。
夜の六本木を歩くのも久々だ。狭い歩道にたくさんの黒人男性が立ち、何かの客引きをしている。地方出身者の情けなさ、声をかけられるのがこわい。上野界隈を歩くときも多くの客引きがいるが、こちらはアジア系の女性が目立つ。黒人男性にしろ、アジア系女性にしろ、むろん日本人も含め、客引きの前を通ることが苦手である。
人身事故というアクシデントがあったせいにせよ、また表面的にせよ、一日で夜の渋谷と夜の六本木を歩くという体験をしたのは、東京に住んで10年、初めてのことだなあと、変な感動をおぼえてしまう。
日比谷線から電車に乗ると、千代田線が止まっていることも知らないたくさんの人々がいる。酔っ払っていまにも吐きそうなおじさんが辛そうに座っている。停まった駅では、たくさんの人が降り、たくさんの人が乗り込んでくる。前の電車も、次の電車も同じなのだろう。ひとつの世界(路線)が動きをやめても、別の世界は問題なく活動している。東京は恐ろしいところだと深いため息をついた。とはいえ自分はそんな状況をなかば愉しんで眺めているのだから、事故に遭った人が浮かばれない。
映画を観ることで東京のありがたさを思い、電車トラブルで東京の恐ろしさを感じる。代表的な夜の盛り場ふたつを予期せぬきっかけで訪れた。すこぶる妙な一日だった。