『荷風全集』検印考

断腸亭印

大正9年一年間の『断腸亭日乗』を読もうとして手に取ったのは、自宅にあるテキストである。これは岩波書店から出た第一次全集のうち、『断腸亭日乗』部分のみを抜き出して7冊に編集し直した版である。
実は第一次全集のほうも持っていて、こちらはかつて職場近くの古本屋で安価で売られていたのにつられ購い(→2004/3/15条)、自宅に置き場がないためやむなく職場に置いてある。全28巻(その後1巻増補されたがわたしがもっているのは最初の28巻本)のうち『断腸亭日乗』は6巻を占める。
ついでにこちらの第一次全集版も見ておこうとめくっていたら面白いことに気づいた。奥付ページに、ちゃんと「断腸亭」の検印が捺されているのである(正確には、印が捺された紙が貼付してある)。荷風の断腸亭印と言えば、昭和16年谷崎潤一郎から贈られたものが有名である。
この断腸亭印は空襲で偏奇館が焼かれたとき、甥であり養嗣子である永井永光さんが焼跡から掘り出したといういわく付きのもので、世田谷文学館でも展示されていた。永光さんの著『父 荷風*1白水社、→2005/6/17条)にもこの話が書かれており、実際全集の検印でも使用(永光さんの奥さんが一冊一冊捺したとのこと)されたともある。実際手にして見ている印影がかの断腸亭印の本物であることを思い、感慨深かった。ここに掲げた画像はこの谷崎贈のもので、永井永光・水野恵美子・坂本真典永井荷風 ひとり暮らしの贅沢』*2(新潮社・とんぼの本、→2006/6/19条)に掲載されている印影をスキャンしたものである。
ここで気まぐれ心が生じ、他の巻はどうなっているのかと目についた巻を函から出して奥付を確認すると、さらに面白いことに気づいた。「断腸亭」印とは別の印が捺されている巻があるのである。ここで調査欲に火がついた。全巻函から出して検印を確認しなければ気が収まらなくなった。調査の結果、第一次全集の検印には下記7種の印が用いられていることが判明したのである。

印記 形状 寸法 使用巻
1 荷風(陽刻) 縦長長方形 縦1.5糎、横1.1糎 1-4,8-10,12,14-17
2 断腸亭(陽刻) 縦長長方形 縦1.7糎、横1.4糎 5-7,13,19-24
3 断腸亭(陽刻) ほぼ正方形 縦1.7糎、横1.6糎 27
4 荷風散人(陽刻) 正方形 縦横1.8糎 11,18
5 荷風散人(陽刻) 正方形 縦横1.4糎 26
6 永井(陽刻) 直径1.2糎 25
7 壮吉(陽刻) 縦長楕円 縦1糎、横0.7糎 28
いまや「検印省略」という本(さらにそれすら書かれていない本)が大半を占めてしまっているが、検印に用いられる印章は一つという常識を覆され、まず驚かされた。さらに断腸亭印が谷崎寄贈のものとは別にあるらしいことにも驚いた。ちなみに荷風生前に刊行された中央公論社版全集(1948-53年)では、「荷風全集」という正方形陰刻の専用検印が用いられている。
江戸博の『永井荷風と東京』展図録(144頁)に、谷崎贈断腸亭印以外に荷風が所持していた印章(印鑑)の写真がまとめて9顆ほど掲載されている。並べてあるだけなので印記の確認が難しいのだが、印鑑入れに入っている丸型印鑑2顆(いずれも印記不明)、楕円型2顆(ひとつは「壮吉」でひとつは「永井」か)、正方形2顆(ひとつは「荷風散人」ひとつは「荷風文庫」)、長方形2顆(ひとつは「荷風」ひとつは「荷風散人」?)、残り1顆は象牙製と見えて立派なものだが、印記はわからない。
これらのなかから全集検印が捺されたという前提で考えれば、表にある1の荷風印は長方形のうちのひとつ、2の断腸亭印(以下断腸亭Aとする)は谷崎贈、3の断腸亭印(以下断腸亭Bとする)は象牙製のもの?、4の荷風人印(以下荷風散人Aとする)は正方形のうちのひとつ、5の荷風人印(以下荷風散人Bとする)は長方形の残りひとつ?、6の永井印は印鑑入れにあるうちのひとつ?、7の壮吉印は楕円型のうちのひとつと推測される。
楕円型のうちのひとつが「永井」と読み取れるけれど、そもそも6の永井印は円形だから形状が違う。図録には上記印章が落款代わりに捺された色紙などが多く収められている。しかし大半は谷崎贈の断腸亭Aであり、公文書書類などに「永井」「壮吉」印が見られるものの、それぞれ検印のものとは印影が違う。
それではこれら7種の印章はどんな法則で全集検印として用いられたのだろうか。そこで次に配本順という考え方を加え、巻数・印記との一覧表を作ってみる。
内容 配本順 印記
1 小説一 8 荷風
2 小説二 19 荷風
3 小説三 9 荷風
4 小説四 21 荷風
5 小説五 2 断腸亭A
6 小説六 1 断腸亭A
7 小説七 5 断腸亭A
8 小説八 13 荷風
9 小説九 17 荷風
10 小説十 17 荷風
11 小説十一・詩歌 24 荷風散人A
12 戯曲 10 荷風
13 随筆・評論一 3 断腸亭A
14 随筆・評論二 7 荷風
15 随筆・評論三 12 荷風
16 随筆・評論四 14 荷風
17 随筆・評論五 20 荷風
18 飜訳・泰西文芸評論 23 荷風散人A
19 断腸亭日乗 18 断腸亭A
20 断腸亭日乗 16 断腸亭A
21 断腸亭日乗 11 断腸亭A
22 断腸亭日乗 6 断腸亭A
23 断腸亭日乗 4 断腸亭A
24 断腸亭日乗 22 断腸亭A
25 書簡 27 永井
26 雑篇一 25 荷風散人B
27 雑篇二 26 断腸亭B
28 雑篇三・補遺 28 壮吉
この表だけではわかりにくいが、エクセルに入力して配本順にソートするとかなりはっきりする。ソートした表は煩雑になるので載せないが、基本的には谷崎贈の断腸亭A印が最初に捺されて刊行が開始された。第6回配本(第22巻断腸亭日乗四)まで続く。
次いで第7回配本(第14巻随筆・評論二)から荷風印に変わり、これは第21回配本(第4巻小説四)まで続く。ただし、途中に配本される断腸亭日乗の巻(第11回・第16回・第18回)および第22回配本(断腸亭日乗六)にかぎり、荷風印でなく断腸亭A印が捺される。
第23回(第18巻飜訳・泰西文芸評論)・第24回(第11巻小説十一・詩歌)の二巻は荷風散人A印が捺され、以降第25回(第26巻雑篇一)荷風散人B印、第26回(第27巻雑篇二)断腸亭B印、第27回(第25巻書簡)永井印、第28回(第28巻雑篇三・補遺)壮吉印と、一巻ずつ異なった印が捺されて刊行終了を迎える。
「だからそれで?」と聞かれると、何も結論めいたものはなく、ただただ調べる過程が面白くて、荷風全集の検印が7種もあって驚いたと、前にも述べたことを繰り返すほかないのだけれど、何とも凝っていたのだなあと版元あるいは著作権者永井永光さんの「遊び心」に拍手を贈りたいのである。
世田谷文学館に谷崎贈印のほかの印章が展示されていたかどうか、まったくおぼえていない。もう一度観に行かなければならないかもしれない。