文法表現としてのパサージュ

パリのパサージュ―過ぎ去った夢の痕跡 (コロナ・ブックス)鹿島茂さんの最近のお仕事のなかでもっとも印象的なのは、パリの都市論、とりわけパサージュについてのものだ。『文学的パリガイド』*1NHK出版、→2004/8/6条)では、160年にわたって寂れ続けているパサージュがあると紹介している。「160年にわたって寂れ続ける」という意表をついた表現ゆえ、強い印象に残った。
寂れること、言い換えれば落魄趣味的な価値観に負のレッテルを貼る傾向にある現代日本社会のなかで、それに逆行するような、「寂れることが持続的状態としてありうる」現象をパリのパサージュのなかに見いだし、「寂れ続ける」ことへの正の価値観を高らかに謳い上げた。
近著『パリの秘密』*2中央公論新社)の感想を書いたなかで、「わたしはこの「寂れ続ける」というキーワードの発見が、近年の鹿島さんの仕事のなかでも大きな位置を占めるのではないかと思っている」と書いた(→2006/11/3条)。
たぶん同じような感想を抱いた編集者がおられたのではないだろうか。でなければ『パリのパサージュ―過ぎ去った夢の痕跡』*3平凡社コロナ・ブックス)のような新著は生まれなかったはずだ。
本書は18世紀末以降に誕生し、現代にも残っているパリのパサージュ19ヶ所を写真付で紹介した魅惑のガイドブックである。「まえがきに代えて」「あとがきに代えて」の二篇以外はすべて書き下ろしという、鹿島さんの最近の本のなかでも珍しい成り立ち方をしている。
コロナ・ブックスというビジュアル本シリーズの入れ物を用い、鹿島直さんによるパサージュの素敵な写真がたくさん収められているいっぽうで、この本は近年の鹿島さんの本には見られないほど硬質で端正な考証的文章がぎっしり詰まっている。
パサージュという装置の成立から展開、個々のパサージュの設置から現在に至る経緯までが丁寧にたどられ、きわめて抑制されたタッチでそれらの歴史と地理が叙述されている。
繁華街と繁華街を結ぶ抜け道にガラス屋根をかぶせ、面した建物にテナントとして各種店舗を誘致したショッピング・モールとしてパサージュは成立した。それゆえパリの都市としての歴史や、各通りの関係など、パリという町を知悉していなければ、なぜそのパサージュがそこに設けられ、賑わい、あるいは寂れていったのか、いまひとつ具体的イメージが沸かないのが難点。
固有名詞が矢継ぎ早に登場し、それらに関する初心者向けの説明がないから、パリを知らない私としても、それら固有名詞に対するイメージ形成を放棄して読み進めるほかない。巻末近くに19のパサージュを示したパリ中心部の略地図があるが、見てもあまり理解度が高まるというわけでもない。先にガイドブックと書いたが、手に携えて訪れるための旅行案内とはまったく異なる。
これはこの本が悪いということを言っているわけではない。たぶんそれでいいと思いながら鹿島さんは書いているのではあるまいか。逆に本書は文化史家鹿島茂の面目躍如たる完成度の高い名著だと思う。
パリのパサージュは初心者には危険である。鹿島さんはパサージュの魅力を、文法用語でいう「過去未来」の生み出すある種の悲しみにあると指摘する。

われわれがありえたかもしれない「時の点」を遠い過去として振りかえらざるをえないときに使われるこの過去未来という時制には、予言された事実が現実に実現されたか否かにはかかわらず、いちように、もはや過ぎ去ってしまった未来の明るさに対する哀切の感情がこめられている。(「あとがきに代えて」)
パサージュは19世紀の人びとが夢みた「未来形」の残滓である。未来への希望が込められた明るさがそのまま残っていることにより、そんな「未来」が実現されないまますでに過去のものとなったことを知っている現代人に悲しみをもたらす。
パサージュは19世紀の人びとの夢である。それがそのままのかたちで残っているゆえに、無自覚にそのなかに足を踏み込めば、一気に「夢の世界」へ連れ去られ、戻ってこれなくなるかもしれない。この点日本の寂れたアーケード商店街に踏み込んだときの心もちとまったく違う。
いまパサージュに対し、日本のアーケード商店街を引きあいに出した。両者は似ているようで似ていない。鹿島さんは本書冒頭、パサージュの定義三ヶ条を示している。第一条「道と道を結ぶ、自動車の入り込まない、一般歩行者の通り抜けで、居住者専用の私有地ではない」、第二条「屋根で覆われていること」、第三条「その屋根の一部ないしは全部がガラスないしはプラスチックなどの透明な素材で覆われており、空が見えること」
アーケード商店街として思い出すのは、たとえば阿佐ヶ谷のパールセンター。屋根で覆われていて、太陽光を透すが、はたして空が見える透明素材だったかどうか。自動車の入り込まない歩行者の道であり、起点と終点は何らかの通りに接合するが、「道と道を結ぶ通り抜け」という要素は稀薄である。他の日本のアーケード商店街も似たり寄ったりだろう。
近著『神田村通信』*4(清流出版、→2007/12/23条)のなかで鹿島さんは、パサージュ風古書店街をいまはなき三信ビルに作りたいと理想を述べている。
このとき、三信ビルとパサージュのイメージが直結しなかったのだけれど、本書『パリのパサージュ』に掲載されている代表的パサージュの写真を見て納得した。三信ビルの一階を東西に通り抜けたときの風景は、まさにそんなものだった。パリのパサージュのうちいくつかは、出入口を商店街のような開かれたものではなく、重々しい扉を備え、建物の入り口という雰囲気にしたものがある。
もちろん三信ビルは、二階を吹き抜けにしたビル内の通り抜けにすぎず、ガラス天井はなく空を見ることができないが、同じデザインの店舗空間が連続した、歩いていて贅沢な気分を味わえる空間であり、日本でパリのパサージュ感覚を味わえる唯一の場所だったかもしれない。
取り壊し直前の、多くのテナントが去り閑散とした三信ビル一階の通り抜けを歩いたときに抱いた感覚は、いま思えばたしかに、鹿島さんの強調する「過去未来」感だったかもしれない。