残りの人生で吉田健一を

ケンブリッジ帰りの文士 吉田健一

吉田健一は「好きな作家」というより、「好きになりたいと思っている作家」でありつづけているといったほうがよかろう。「好きな作家」と胸を張って言える自信がないからだ。一度書いた本に『時間』の一節を引用したことがあるけれど、中味を正確に理解して引用できたかどうかは不安である。
書棚にある本をふりかえってみれば、講談社文芸文庫から出た『絵空ごと/百鬼の会』*1を新刊で買ったのが吉田健一との出会いだった。1991年。幻想文学の作家の一人という関心からだったと思う。この新刊を買ったとき、『金沢/酒宴』が既刊であることを知り、一緒に購った。それ以降同文庫で出るたびに買っている。その後、その時点で刊行され、すでに品切寸前になっていた中公文庫などを、新刊書店や古本屋を熱心にまわって必死にかき集めた。古い日記の1991年5月21日にこんな記述を見つけた。

熊谷書店青葉通店にて、『舌鼓ところどころ』(吉田健一、中公文庫)を購う。(…)吉田健一の本は中公文庫から五、六冊出ているのだが、結局一冊のみで新刊書店には全くなし。殆ど品切れかと危ぶまれる。
「熊谷書店青葉通店」という古本屋はとっくの昔になくなっている。さらに日記を見てみると、東京に出たとき(出版社への入社試験だったろうか)に立ち寄った八重洲ブックセンターで売れ残っていた中公文庫版『東京の昔』を購っている。地方の人間にとって、すでに売れ切れて残っていない本が東京なら売れ残っているかもという期待が、大書店に対してたしかにあった。そういう感覚も懐かしい思い出だ。
それでも入手できなかったものは、直接中央公論社に代価の切手を同封して「汚本・旧カバーの本でいいから買いたい」とお願いしたところ送られてきたので驚いた。『瓦礫の中』『怪奇な話』『書架記』の3冊であった。それが9月6日のこと。この方法は井狩春男さんの本に教わったのである。3%の消費税が導入されたのが1989年。そのさい、それまで売られていた文庫のカバーに旧価格が書かれていて対応できず(その頃はおおよそが内税方式だったからか)、消費税に対応した新しいカバーを作るほど売れる見込みがないものは書店の倉庫に眠っているのだという話だった。その後、このうち『怪奇な話』は1993年に「僅少本復刊フェア」と称して中公から復刊され、いま書棚には、旧版とその復刊が2冊並んでいる。
そう見てみると、1991年という年は、吉田健一との出会いから一気に沸点まで達した年だったのだ。そんなふうでありながら、この間新潮社から『吉田健一集成』が出て、二十数年も経っていまだに吉田健一をきちんと理解できているか怪しいというのは、何とも情けない話である。
しかしこのほど、角地幸男さんのケンブリッジ帰りの文士 吉田健一*2(新潮社)を読んで、吉田健一が好きかどうか、好きになれるかどうか、というよりも、とにかく今後残りの人生で真剣に付き合ってみるに値する作家であることを強く認識した。この本によって、日本語という言葉でものを考え、表現する人間のひとりとして、吉田健一がそうした問題にどのように向き合ってきたのかがよくわかった。
また、たいへんに難解な書である『時間』に対する丁寧な解説「時間略解」を読んで、この本に書かれたことがらをどう読むべきか、はじめておぼろげながらわかってきたような気がする。
驚きなのは、吉田健一の仕事のなかでも大好きな『大衆文学時評』が、角地さんによれば、後期の『時間』へと向かってゆく吉田健一の文業において重要な位置を占めているという指摘だった。『大衆文学時評』は、取り上げられている作品がわたし好みであることもあって著作集の端本を持っているほど好きなのだが、これまた内容を十分に理解できているかといえば、覚束ない。この仕事のなかで吉田健一が考えていたことが、後期の仕事につながってゆくという指摘に、自分の“吉田健一好き”の方向性は間違っていなかったのかもしれないという大きな安堵を覚えたのも事実である。
いよいよ著作集を購入する時機がやってきたように思う。以前は高くて買えなかったが、最近全集全般の価格下落とともにだいぶ手に入れやすいところまで安くなってきた。これらを残りの読書人生、じゅうぶん愉しめるだろうとふんでいる。