食べたくなり、読みたくなる

文人には食あり

角川春樹事務所のグルメ文庫に、山本容朗さんの文人には食あり―文壇食物誌』*1が入ったことは、ふじたさんの「日用帳」で教わった(id:foujita:20051013)。このなかに戸板康二さんの項があることも初耳だった。ふじたさんは本書の元版をお持ちだと書いておられる。
さっそく購ってみると、この本の元版は2002年、廣済堂出版から出たという。すでにこの頃は戸板さんの作品に親しみ、ふじたさんともネットを介して交流があったはずなのに、この本の存在にまったく気づかなかった。いや、戸板さんの項があるのだからふじたさんに教えてもらったことがあるのかもしれないが、下に述べるような事情も手伝って、忘れてしまったのかもしれない。迂闊というか、情けない話である。
戸板さんにとどまらず、取り上げられている作家のラインナップに惹かれたので、さっそく読み始める。山本容朗さんの著作は、河出文庫に入っている本書と似たコンセプトの『作家の食卓』を持っているけれど、読んでいない。ときどき心動かされる内容の(新刊)著書を書店で目にすることがあったけれど、内容が軽いのではないかと見くびって、買わないでいた。本書を読んで、この認識はあらためねばならないと反省する。
本書に登場するのは、吉田健一獅子文六檀一雄開高健色川武大丸谷才一内田百間といった食味文学のジャンルでは必ず顔を出す作家だけでない。山口瞳吉行淳之介田中小実昌田辺聖子宇野千代北杜夫常盤新平小林秀雄遠藤周作らの項も立てられている。作家の食生活や作品に登場する食べ物の描写などを紹介した楽しいエッセイ集だった。
もともと山本さんは編集者としてこれらの作家と深い付き合いがあり、編集者を辞めて文筆業に専念するようになってからも酒や食を通じて多様な交流があり、また自身食べ物について深い造詣がある。
編集者として、角川書店にいたとき獅子文六の『嵐というらむ』を担当したり、また番町書房から出た吉田健一の酒食エッセイ・アンソロジー『酒肴酒』を編んだのも山本さんだという。これには驚かされた。

昭和四十九年春、番町書房(主婦と生活社の子会社)のT氏が来て、ユーモアエッセイ集を考えてくれと言うので、吉田健一著『酒肴酒』というアンソロジーの目次を作って渡した。営業部は危ぶんでいたが、出してみると、たちまち十万部近くまでいった。前述した「二日酔」も「海坊主」もこれに収録されている。このシリーズの判型、表紙絵山藤章二氏というのも私のアイデアである。山藤さんの似顔絵は、その本の当たった理由の一つだろう。(15頁)
以前書友ちわみさんから、『酒肴酒』と同じシリーズの吉行淳之介『某月某日』を恵贈され、表紙イラストが山藤さんだと指摘されて、ハッとなった。番町書房の吉田健一本は『酒肴酒』正続だけでなく、『頭の洗濯』も加えて学生の頃から馴染みの本なのにもかかわらず、またもや迂闊にも山藤さんの似顔絵が表紙を飾っていることなど、まったく気にとめていなかったのだった。
編集者時代における作家との付き合いとなると、自慢話になるのを読者としては警戒してしまうのだが、この本ではそんなことはまったく心配いらなかった。清遊と言うべきなのか、取り上げられる料理もグルメなものから家庭料理に至るまで幅広く、読みながら思わず舌なめずりをしてしまうのだった。
アンソロジストとしてすぐれた才能を発揮しているのも、酒と食を愛した作家との付き合いがあり、また作品を広く渉猟して食べ物の描写が出てくる箇所を注意深くチェックする営為あるがゆえだろう。それほど有名でないマイナーな作品から、美味しそうな食べ物の場面を抜き出して読者に提供する。それで読者が意表をつかれたと思えば、アンソロジスト冥利に尽きるだろう。本書はそんな意外性に満ちている。