薄められた「お酒の文壇史」
思いがけず、「あの」吉行淳之介編『酒中日記』が中公文庫に入るという情報に接し、心が躍った。いまわざわざ「あの」としたのは、この本に因縁があるからだ。
かつて『BOOKISH』6号戸板康二特集*1で、わたしとふじたさん(id:foujita)が担当し、戸板さんの単行本未収録作品を再録することになった。そこで選んだのが「酒中日記」である。詳しくはふじたさんによる解題を参照していただきたいが、戸板さんはこのシリーズに二度登場、しかも、シリーズが始まったのは戸板さんの小説がきっかけなのである。
ところが『BOOKISH』発売後、「酒中日記」が吉行さんの編で講談社から『酒中日記』*2『また酒中日記』*3として2冊出ており、うち前者に、単行本未収録として収めたうちの1編「見立の楽しみ」が入っていたことを知ったのだ。この経緯は“〈書評〉のメルマガ”連載の拙文「読まずにホメる(23) 酒と日記と初出一覧」にも書いた。
そうした苦い思い出のある『酒中日記』の文庫化。中公文庫の編集者が『BOOKISH』や“〈書評〉のメルマガ”を見て思いついたのだったら、などと自意識過剰な思いも頭をよぎる。もしそうだったら紹介者冥利に尽きる。
さて中公文庫版*4が発売されたのでいそいそと購い、目次に目を通すと戸板さんの名前が見あたらない。「あれっ、戸板さんの文章は続編のほうだったっけ」と訝しんだ。
帰宅後積ん読の山の底にある元版を取り出して愕然。戸板さんの「見立の楽しみ」はおろか、戸板さん自身がこのシリーズ開始のきっかけについて書いた、本書の序文に相当する「「酒中日記」由来」まで、丁寧に削られているではないか。せっかくの『酒中日記』文庫版から、戸板さんの足跡がきれいに消されているのは、一戸板ファンとしてとても悲しい。
要するに文庫版は元版から再編集されたできあがったわけで、誰の文章が削られたかをここで明らかにしておく必要があるだろう。さっそく下記にまとめてみる。
- 中公文庫版『酒中日記』未収録リスト
- 戸板康二「「酒中日記」由来」
- 三浦哲郎「師と交す酒」
- 藤本義一「酒は梯子」
- 丹羽文雄「友だち」
- 菊村到「川上宗薫の酒」
- 石堂淑朗「もてぬ酒」
- 古井由吉「うろたえ酒」
- 庄野潤三「このひと月」
- 綱淵謙錠「さかなになる」
- 三好徹「旅寝の酒」
- 中山あい子「満員電車」
- 戸板康二「見立の楽しみ」
- 佐木隆三「どこまで続く泥濘ぞ」
- 立松和平「今日も元気だ酒がうまい」
- 山村美紗「京の暮、京の正月」
- 夏樹静子「白夜の酒」
- 村松友視「受賞当夜のプレッシャーの酒」
- 中津文彦「久々の快酔、祝い酒」
- 勝目梓「わかる歌、わからない歌」
- 唐十郎「「佐川君」の一夜」
- 高橋克彦「少し飲りすぎ」
- 林真理子「私の好きな男たち」
- 笠原淳「芥川賞の賞」
- 高橋治「人に酔って……」
- 山口洋子「夢見酒」
- 連城三紀彦「直木賞余震」
- 安部譲二「塀の外の懲りない面々」
- 常盤新平「受賞の夜」
- 逢坂剛「酔わずに弾けるか!」
- 阿部牧郎「受賞前夜」
序文にあたる「「酒中日記」由来」を含め、30編ものエッセイが取り残されてしまった。『酒中日記』が文庫化されたからは、続編『また酒中日記』の文庫化も期待していたけれど、こちらはさらに渋い面子が名を連ねているから、ちょっと怪しいかもしれない。
上の未収録リストに並んだタイトルを見て想像されるように、このシリーズには、文学賞選考の結果を酒場で待ち、受賞の報告を受けてその場の仲間と祝ったといった内容の日記が多い。芥川賞・直木賞に限らないが、やはりこの二大文学賞が目立つ。村松友視・笠原淳・高橋治・連城三紀彦・常盤新平・逢坂剛・阿部牧郎といったあたりがそうだ。
もちろん文庫版に収録されたなかにもこうした内容のものがある。色川武大さんの「小実さんの夜」は、田中小実昌さんが直木賞を受賞した前後の日記だし(色川さんの場合ご自身の受賞と無関係なのが異色)、その小実昌さんと直木賞を同時受賞した阿刀田高さんの「祝い酒の日々」は、色川さんの次に配されている。山田詠美さんの「ポンちゃんの受難」も直木賞受賞前後の日記だ。
『酒中日記』を掲載していた『小説現代』は、有力候補作家にあらかじめ日記寄稿を依頼していたのだろうか。あるいは、受賞後その前後の日々を思い出して書いてもらったのだろうか。そのあたりがとても気になる。
芥川賞・直木賞と関係する文藝春秋ではなく、講談社が書かせているという点、なかなかうまいところを突いていると思ういっぽう、だとすればここで受賞した作家の作品はもしかしたら講談社から刊行された本・雑誌に限られているのかもと深読みしてしまうが、そこまでは調査が及んでいない。
いずれにしてもこのアンソロジーは文壇の酒場交遊録といったおもむきで、いま読んだところに登場した人が、ページをめくると次は書く側に回っているということもしばしば。これだけ立てつづけに大酔泥酔豪遊の記録を読まされると、文壇という場所が一般社会と隔絶されている特殊な世界であることを思い知る。
元版『酒中日記』の帯に「お酒の文壇史」
とあって、本書を言いあらわすのに至言としか言いようがないコピーなのだが、受賞日記の多くが収録を見あわされ、「酒の飲み方は百人百様。/酔い方も百人百様。」
というコピーが掲げられているからは、文庫版は「お酒の文壇史」的な要素を薄めようと意図したのかもしれない。