名古屋にとってのシャチホコ

名古屋と金シャチ

井上章一さんの新著『名古屋と金シャチ』*1NTT出版)を書店で目にしたとき、「おっ、ついに井上さんは名古屋に進出したか」と自然に頬がゆるんだ。
私はこの本の内容をどのように想像し、何を期待したかのか。『「あと一球っ!」の精神史―阪神ファンとして生きる意味』*2太田出版、→2003/8/24条参照)や『関西人の正体』*3小学館文庫、→2003/8/10条参照)に見られる、ほとんど自虐的と言うべき関西(人)論の名古屋版という内容なのかと期待した。
よく名古屋人および名古屋の地域文化(のユニークさ)はメディアのなかで馬鹿にされる傾向にある。井上さんはそんな名古屋人・名古屋文化の異質性が生まれた歴史的過程を検証し、地元の人たちを挑発せんばかりに名古屋文化の「変なところ」を論じたのだろう。こういうことは、東京の人間がやるよりも関西人がやったほうが後腐れもないかもしれない。さすが井上さん。
と、こんなイメージを抱きながら気軽な気持ちで本書を読みはじめたところ、多少面食らった。言い方が適当でないかもしれないけれど、けっこう真面目で正統的な文化論の本だったからだ。『パンツが見える。』『愛の空間』といった言説史の面白さはないこともないが、大雑把に言えば、金のシャチホコ図像学、イメージ変遷史と言えようか。
何と言っても第一章のスケールの大きさにめまいがする。まずシャチ様のイメージが東西の神話世界に見られることを指摘、それが周辺世界へ伝播していく過程を素描する。ヨーロッパにも、アジア世界にもシャチ様のイメージは遍在していたのだ。
しかしながら現代文明は太古の神話的イメージを消し去る。なのになぜ日本ではシャチホコがこれほどまでに有名なのか。太古の神話的世界は名古屋で新しくよみがえったからだが、ではなぜ名古屋なのか、そんな疑問を掲げて検証は出発する。
キャラクターグッズとして、いかつい外見が可愛くファンシーにデザインし直されるという革命、尾張徳川家が手放した名古屋城シャチホコ宮内省の保管を経て市民の力で返還されるという運動などなど、興味深い指摘は多い。戦災のためシャチホコは溶けてしまったにもかかわらず、戦後作り直されたいわばコピーのシャチホコにすら市民は崇拝に近い好意を寄せる。こんな心性を、シャチホコを「王」に見立てて論じるあたり、なかなか説得力がある。
第四章「金シャチ美人」では、日本三大ブスの産地の一つに名古屋があるという俗説について、なぜそのような風説が生じたのかを解明する。また、この風説ができる以前は、逆に名古屋は美人の産地として名高かったことを近代史の流れのなかに置いて明らかにする。さすがに『美人論』の著者だけに、この章は叙述に張りがある。
先に「言説史の面白さはないこともないが」と書いたが、言説史の面白さを打ち出しているのがこの箇所なのである。

群をぬく美人地帯から、日本三大ブスの産地へと、評価が地におちる。こんな風説史の推移をたどった都市は、ほかにない。名古屋だけなのだ。容貌に関する噂が、これだけ大きくゆれうごいたのは。/近代日本における都市イメージの歴史という興味が、むくむくとわいてくる。この風説をおいかけだしたのは、そのためである。
名古屋城シャチホコは滅多に屋根から降ろされることがなかった。ただ仰ぎ見るという存在。ところが最近では、博覧会のたび降ろされ、一般庶民が近くで見ることができるようになったという。現代における皇室・王室のあり方と何と近しいことか。
そしてついに、ただ動かずに観光客の目にさらされるだけでなく、現在開催中の愛知万博の開会式で、この金のシャチホコが出席するということにも言及されている。私は万博の開会式にはほとんど関心を向けなかったけれども、はてシャチホコが来臨したということが大きく取り上げられたのだろうか。