5月6月読了本総浚い

せめてひと月に一度は読んだ本をまとめておこうと思いつつ、四月はかろうじて実行できたが、とうとう五月はそれがかなわず、六月も月末になってしまった。あわてて二ヶ月分の読んだ本総浚いをする。すでに内容を忘れかけているものもあるのが情けない。
思い出す顔 戸板康二メモワール選 (講談社文芸文庫)戸板康二『思い出す顔―戸板康二メモワール選』講談社文芸文庫)。ふじたさん(id:foujita)さんが熱望したように、講談社文芸文庫に戸板作品が入ったことを寿ぎたい。犬丸治さんにより、『回想の戦中戦後』『思い出す顔』二冊からセレクトされた文集。たしか『思い出す顔』未読ゆえ、まずこの文庫版を通読することにした。犬丸さんの解説がこれでまた一個の作品となっており、素晴らしい。これら戸板康二「メモワール」群は、「ちょっといい話」と深い関係があることを再認識させられる。
座談会のあと舞台公演を控えていた芥川比呂志が、座談会で出されたウィスキーをつい飲んで酔っ払ってしまった。芥川の役は酔って出るという設定だったが、本当に酔った芥川が出てきたとき、そのため二、三歩よろけて前に出て立ち止まった。翌日から「二、三歩よろける」のが「型」になったという。そんな挿話が無類に面白い。でも、わたしが自分で語り直すと、どうも話は面白くなくなる。
曠吉の恋 昭和人情馬鹿物語 (角川文庫)久世光彦『曠吉の恋―昭和人情馬鹿物語』(角川文庫)。久世さんの急逝により連載が中断された遺作。単行本で出たときには、内田百間を主人公にした別の遺作『百間先生、月を踏む』に比べてそそられるものがなく、一度くらい手に取ったかもしれないが、ほとんど見向きもしなかった。でも文庫に入ったので買って読んでみると、これがまた実に久世さんらしいしっとりした情念に満ちた作品なので、急逝によってこの続きが読めなくなったことを悔しく思った。
たとえばこんな一節。

阿佐ヶ谷は、時雨の似合う町だった。乾いた道を速い雨足が走って過ぎると、家々の屋根瓦や板塀があっという間に黒ずんで、重い雨の匂いが、垣根の山茶花の薄い香りと混じり合い、町はホッと息をついたように、しっとり落ち着くのだった。(「侘しすぎる」)
日本特有の、湿気が草花と木造家屋の匂いと混じり合った、爽やかでないから厭うべきなのだがなぜか心落ち着くような空気の匂い、そんな感覚をこれほどうまい文章で表現する作家は、どこを探したって見つからない。ああ、久世さんがいないことを悲しむ。
本と映画と「70年」を語ろう (朝日新書 110)川本三郎さんがらみの新書、新右翼のリーダー的存在鈴木邦男氏との対談本『本と映画と「70年」を語ろう』(朝日新書)。いま「新右翼のリーダー的存在」と書いたが、これはカバー裏にある著者紹介の文章そのまま。こういうことに疎い私は、鈴木邦男さんという人物は本書で初めて知った。有名な方なのですね。逮捕されたときの状況が生々しく語られている。そのことを綴った『マイ・バック・ページ』映画化の話があるという。楽しみだ。
印象に残る川本語録。
オウムの事件の頃からでしたか、「ディベート」という言葉がはやり始めましたよね。それでともかく相手を言葉でやり込めるということがものすごくはやるようになってきたために、口ごもるとか、沈黙するとか、小さな声でしゃべるとか、そういうものが大事にされなくなってきた。でも、活字の世界だけはかろうじてそれが許されているんですよね。(237頁)
北村薫の創作表現講義―あなたを読む、わたしを書く (新潮選書)北村薫北村薫の創作表現講義』(新潮選書)。早稲田大学での講義録だという。さすが高校の国語教師だっただけに、学生とのコミュニケーションがうまい北村さん。「書く」ことへの喚起の仕方だけでなく、「読む」ことへの誘い方も素晴らしい。これもまた一種のアンソロジーだ。
50の生えぎわ (中公文庫)泉麻人『50の生えぎわ』(中公文庫)。去年長男と観に行ったプロ野球巨人・楽天戦を泉さんも東京ドームで観戦していたことを知る。あの日は「V9ナイター」だった。
三面記事の男と女―Matsumoto Seicho Showa 30’s Collection〈2〉 (角川文庫)松本清張『三面記事の男と女』(角川文庫)。その泉さんは、清張原作映画のロケ地探訪のため北九州を訪れたルポを前掲書に書いているほどの清張ファン。本書は五篇を収めた短篇集だが、このなかでは冒頭の「たづたづし」が絶品。脂汗が出てくるような余韻を残す。清張の真骨頂。逆にすっきりしたオチをつけた「不在宴会」などはそれゆえに面白味を欠く。
うちのパパが言うことには (角川文庫)重松清『うちのパパが言うことには』(角川文庫)。重松さんの二冊目のエッセイ集。わたしは重松さんの四歳年少だから、文庫本になって出るくらいがちょうど同年代の頃を語っていることになる。本書では不惑になったことをめぐるさまざまな思いが語られている。ちょうどいまのわたしと同じよう。ノストラダムスの大予言を真に受けてカウントダウンをしていた「70年代型少年」。まさにわたしもそうだった。
息子の青春 (新潮文庫)林房雄『息子の青春』新潮文庫)。二人の息子を持つ家庭の物語。そういわれると、同じ境遇だからつい買ってしまう。快活で素直に育った息子二人をもつ親父の感懐。時々ほろりとさせられる。小学生の息子たちに酒をおぼえさせ、一緒に酌み交わすという第三章「息子の酒」は、酒アンソロジーの本があったら入るべき佳品だ。
こんな作品、映画になっていないのかと調べたら、1952年小林正樹監督で松竹から映画になっている。主人公越智が北龍二で奥さんが三宅邦子、二人の息子は石浜朗と藤原元二(この俳優さんは存じ上げない)。なかなか渋い。でも小林作品なら以前衛星劇場で録画したかもしれないなあ。
芭蕉のガールフレンド (文春文庫)高島俊男お言葉ですが…8 芭蕉のガールフレンド』(文春文庫)。同じ業界で、抜刷や著書を贈り贈られしたこともある有名な先生がやり玉にあげられている。ひぇー怖い。自分が書くようなものは高島さんの目に触れないとは思うが、高島さんが読んだときに「おかしい」と思われないような文章を書くこと、それが最低限の目標である。逆に知っている方の本が高島さんから絶賛されていた。こちらはとても羨ましい。高島さんから褒められるようなものを書く。ひとつの夢。