古いミステリ小説の復活

むかしのミステリ小説を読んでいたり、犯罪がからんだむかしの日本映画を観ているとき、ふと頭に浮かんでくることがある。携帯電話などの通信手段やDNA鑑定の科学捜査が発達した現代なら、成り立たないな、と。
もとより愚かな発想だ。携帯電話がないから、通話記録や、それが発する微弱な電波によって居場所がすぐ特定されてしまうことはないし、髪の毛や皮膚、汗などの体液もとにDNA鑑定で人物が特定できてしまうようなこともないことにより、物語にそなわるスリルや深みに段違いの差があることをむしろ喜びたいのである。
もちろんこうした現代社会を捉えきったミステリだって面白いに違いない。けれども、宮部みゆきさんの小説のほかは、あまり読む気がしないのはなぜだろう。
血みどろ砂絵  なめくじ長屋捕物さわぎ (角川文庫)ともかく、そんな思いにさせてくれたのは、角川文庫から復刊された都筑道夫さんの『血みどろ砂絵 なめくじ長屋捕物さわぎ』を読んだからだった。
というと、あまりに時代が遡りすぎだと呆れられるだろうか。携帯電話やDNA鑑定はもちろん、指紋捜査や血液型鑑定も当然ない江戸時代を舞台にしたミステリ。角川文庫の旧版や光文社文庫版など、いくつかのテキストを持っているはずだが未読のままだった。そんな作品を結局こういう復刊企画で読むというのは、よくある話。
この連作を読んでまず思ったのが、最初に書いたようなこと。次に思ったのが、砂絵書きのセンセーをはじめとする、このシリーズの主人公たち「なめくじ長屋」の連中の身分を「非人」に設定した妙。
江戸時代のミステリ、岡っ引きや同心を主人公にした作品はむろんのこと、せいぜい武士・町人が出てくる程度だが、「非人」を出してきた着想が効いている。ゆえにその身分的格差によって生じた歪みがポイントとなる第四席「三番倉」にはコクがある。
最後に語り口の妙。歌舞伎の世話物を観ているような、登場人物たちの調子のいい会話にしびれる。しばらく読むのを中断していた自伝『推理作家の出来るまで』の読書を再開したのだが、なるほど敗戦直後の都筑さんは劇作家を志して市川に疎開していた正岡容のもとに足繁く出入りし、歌舞伎や新劇をたくさん観ていたはずだ。
と、以上のようにわたしがあげた三つの点、実はすべて角川文庫新版の中田雅久さんによる解説のなかで周到に指摘されているのだった。得意顔で言うべきことではない。
紳士同盟 (扶桑社文庫 (こ13-1))もう一冊の古いミステリ。これまた奇しくも復刊。扶桑社文庫から出た小林信彦さんの傑作コン・ゲーム長篇紳士同盟である。
紳士同盟」と言えば、薬師丸ひろ子主演の角川映画。観たわけではないが、「なんてね」というフレーズが今でも浮かんでくる彼女の主題歌の印象が強烈だ。小林信彦さん原作ということすらほとんど意識せず、これまで接する機会がなかったが、映画の軛がはずれたいま、復刊本を手にとって読んでみると、これがまた面白い。『唐獅子株式会社』同様、“読まず嫌い”はいけないと反省する。
主人公の寺尾が、昭和ヒトケタ生まれで、戦中に軍国教育を受け、戦後の占領時代に解放と挫折を味わったがゆえに、そうしたフィルターを通してしか物事を考えられないような醒めた人物である点、他の小林作品と共通する。扶桑社文庫版に収載された永井淳さんの書評にある一文を借りると、「ちょっと大袈裟にいえば、戦前に確固としてあった価値基準の崩壊と、戦後民主主義の風化という、二度にわたる幻滅の苦さを、処女作以来通奏底音として奏で続ける小林信彦の姿勢」ということだ。
プロローグに少しだけ登場する戦後闇市の風景、そして物語の大半が展開される「当時の現代」70年代の風景、そこに、戦中戦後を生き抜いた人間たちの思惑と、彼らの眼を通して描かれる日本社会の変化、東京という都市の変化が見事に捉えられている。
「こんなに面白い小説だったのか!『紳士同盟』は!」というのが率直な感想。来月同じ文庫から『紳士同盟ふたたび』も出るそうだから、たのしみに待とう。
扶桑社文庫版巻末に、日下三蔵さん編にかかる「小林信彦著作リスト(小説篇)」が出ている。これを見ると、わたしが小林さんの新刊小説をリアルタイムで味わうようになったのは2005年の『東京少年』以来なのだから、小林ファンとしてまだまだ初心者に過ぎず、偉ぶったことは言えない。