「三世澤村田之助小説」を超えて

今年の3/9条にて、三世澤村田之助が主人公ないし登場人物として登場する小説をあげ、これらを「三世澤村田之助小説」とくくってみた。
幕末明治期に美貌の女形として若い頃から立女形として活躍し、将来を嘱望されていたにもかかわらず、脱疽で両足や手を切断する悲運に見舞われ、それでもなお舞台に立ちつづけ、果てに狂死したという、波乱万丈の生涯をおくった歌舞伎役者である。
そのときあげたのは、南條範夫『三世沢村田之助 小よし聞書』(文春文庫)・山本昌代『江戸役者異聞』(河出文庫)の2冊。
このたび、そのなかに北村鴻さんの『狂乱廿四孝』(角川文庫)を付け加えることができたのは嬉しい。
長編「狂乱廿四孝」は第6回鮎川哲也賞を受賞し、95年に東京創元社から単行本として刊行された。ところが、著者曰く「あまりに紆余曲折がありすぎてとてもここでは書ききれるものではない」(「あとがき」)という事情で文庫化が遅れ、結果的に別の版元から文庫化された。
今回の文庫化にあたり、本作品に加えて、この原型だという短編「狂斎幽霊画考」(オール読物推理小説新人賞候補作)が“ボーナストラック”として付け加えられている。
夏休みでは休みのときに読もうと思っていた本を優先していたので、本書を持参しなかった。そういうこともあって、東京に戻るやいなや、すぐにこの本を手に取り、興奮のうちに読み終えた。
歌舞伎ミステリとして傑作である。
時は明治初年の東京浅草猿若町。すでに脱疽で両足を切断した澤村田之助が、からくりを駆使して「本朝廿四孝」の八重垣姫を勤め上げ、観客の度肝を抜いた守田座が主な舞台となる。
澤村田之助に加え、守田座の座付作者河竹新七(黙阿弥)、座主の守田勘弥田之助のからくりをつくった大道具方の長谷川勘兵衛、それに五代目菊五郎河原崎権之助(のちの九代目團十郎)、またこの物語のキーとなる幽霊画を描いた河鍋狂斎(暁斎)、戯作者の仮名垣魯文など、実在の人物が多く登場し、そこにお峯という黙阿弥に弟子入りした16歳の女性芝居作者がからんで話は展開する。
驚くのは、上記した実在の人物たちが、物語のリアリティを増すという目的だけで、たんに「特別出演」としてちらりと顔を見せるのでなく、一人一人が主人公と言ってもいいほどの深い人物造型で描かれていることにある。黙阿弥しかり、勘弥しかり、團菊、勘兵衛、狂斎・魯文もまたしかり。
そうした幕末明治初年における歌舞伎界の裏事情をうかがわせるような、歌舞伎ファンをくすぐる道具立てにさらに拍車をかけるのが、幕末の歌舞伎界の重大事件であった、八代目團十郎切腹事件と、河原崎権之助(九代目團十郎の養父)殺害事件という二つの事件が物語にからんでくるという仕掛けである。たまらない。
ミステリということもあり、これ以上内容に触れるのはひかえるが、「長編より先に読んではいけない」と作者・解説者(西上心太氏)に強く釘をさされた併録作の「狂斎幽霊画考」もまた興味深い。
長編と登場人物がかなり重複し、暁斎の幽霊画がキーとなることには変わりはないものの、微妙に役割や描かれ方が異なり、しかも…、おっと、これ以上は申すまい。
歌舞伎ミステリといえば、これまで戸板康二さんの中村雅楽物や近藤史恵さんの『ねむりねずみ』(創元推理文庫)があったが、この『狂乱廿四孝』は実在の歌舞伎役者やその周辺の人物の特徴を見事に生かしたうえで作中に配するといった、これまでの歌舞伎ミステリにはない新機軸を打ち出したものと評価できる。
(旧版2001年9月6日条の再掲)