本読みのウズウズとイライラ

本は寝ころんで

ある読書エッセイを読み、そこで取り上げられている本が読みたくなってウズウズしてくる。本読みにとってこれにまさる快感はないだろう。快感をより強く味わうためには、その本を持っていないのが望ましい。しかもちょっとの努力とちょっとの幸運があれば手に入る程度の本ならベターだ。読みたくても、その本が入手困難な稀覯本で、すぐには手に入らない(もしくは高価で手を出しにくい)のでは、ウズウズの快感が入手したときの喜び、読書のさいのパワーにそのまま転換されず、宙づりになってしまう。
小林信彦さんの『本は寝ころんで』*1(文春文庫)を読んだ。この本によってウズウズが身体のなかに充満されてきて、どうにも発散したくなった。文庫解説の北上次郎さんが「忙しい方は本書を手にしないほうがいい。あなたは絶対、本書で紹介された書を次々に読みたくなるだろうから」と書いているとおりの本。
本書は『週刊文春』に連載された「私の読書日記」が全体の五分の四をしめ第二部にあたり、冒頭の第一部、分量として五分の一にあたる部分が書き下ろしの「他人に教えたくない面白本=ベスト50」となっている。
「他人に教えたくない面白本」のなかにも猛烈に読書欲をそそられた本があったけれど、それより何より、読書日記のほうで繰り返し触れられているパトリシア・ハイスミスの小説が読みたくてたまらなくなった。
ハイスミス作品については、かつて吉田健一訳『変身の恐怖』(ちくま文庫)を読んださい書いたように(旧読前読後2001/9/3条)、河出文庫で彼女のコレクションが出始めた当初買って読んでいたものの、その後手放して手もとにほとんど残っていない。でも、まだ新刊書店で入手可能な本があるだろうし、古本屋(もしくはブックオフ)では見かけないこともない。ウズウズの快感を味わうにはちょうど具合のいい作家だろうと思う。
印象に残っている箇所として、吉村昭さんの『東京の下町』(文春文庫)に触れた一節がある。

下町の子供が一人で映画館へ行く光景が描かれており、(…)〈アノネ、オッサン〉の高瀬実乗が唯一演じたマジメな映画「旅役者」の話がある。藤原釜足と柳谷寛が出ている、というこの映画は聞いたこともない。(101頁)
この映画であれば、今年4月にラピュタ阿佐ヶ谷の成瀬特集で見た(→4/19条)。高瀬実乗が唯一演じたマジメな、しかも小林さんですら聞いたこともないレアな映画だったとは。得したような気分。『東京の下町』は持っていないはず。これにもウズウズ。
ところで前記『変身の恐怖』については、小林さんは数多あるハイスミス作品のなかでそれほど高い評価を与えていない*2。この評価を下す文章が、本読みの琴線に触れる。
H・R・F・キーティングの「海外ミステリ名作100選」によると、「変身の恐怖」が彼女のベストになるらしいが、とっくに絶版になっている邦訳をコピーで読んだところでは、とてもベストとは思えなかった。(この判断は自信がない。どうもコピーではダメなのです。)(63頁)
「コピーではダメ」という気持ちがよくわかる。たぶん実物の本で読んでも評価は変わらないと思われるが、たとえ渇望していた本、面白い本であっても、コピーで読むと興趣が薄れるという感覚に強い共感をおぼえた。遺憾ながら私はこれに図書館の本も加わってしまう。
もう一冊だけ、読みたくなった本。第二部「読書日記」で一番最後に紹介されている宮本徳蔵『力士漂泊』(ちくま学芸文庫)。私はこの元版(小澤書店)を買った。たぶん手放していなかったように思う。でも書棚のどこにあるかわからない。文庫に入ったとき、文庫版も買ったかどうか、忘れている。買ったとしてもどこにあるかわからない。何から何まで曖昧で困ってしまう。この場合、読みたいというウズウズがイライラに変じる。こういうイライラを甘受し、逆に愉しむようにならなければ、一流の本読みとは言えないだろう。私はまだまだ修行が足りない。
【追記】
ここまで書いたところで、手に入れたばかりの講談社のPR誌『本』1月号をめくって驚いた。同誌に連載されている池内紀さんの「珍品堂目録」が『力士漂泊』を取り上げているではないか。何たる奇遇。ますますウズウズしてきてしまったではないか。残念ながらいまのところ元版も文庫版も見つかっていない。

*1:ISBN:4167256061

*2:私も他の作品のサスペンス感には及ばないと感想を書いた。