津波の恐怖

三陸海岸大津波

スマトラ沖地震で発生した津波は、時間が経って被害の状況が明らかになるにつれ、津波襲来の瞬間をとらえた映像を見るにつけ、「想像を絶する」という紋切り型以外で驚きを表現する以外のことができなくなった。
地震国日本に住んでいるわたしたちですら、津波には鈍感になっているのではないか。個人的な感覚では、近海で起きた地震津波注意報・警報が発せられることがあるが、実際に沿岸に到達した津波は何センチという程度のもので、「何だそんなものか」と軽視してしまう。
今回の津波は、津波といえばサザンオールスターズの「TSUNAMI」の甘美なメロディを連想してしまう世の中に住んでいる人間(=私)に対する警告である。今年は台風が多く日本に上陸した一年で、台風による高波に対する恐怖は報道映像で植えつけられており、津波もその兄弟のように想像していたけれど、実際の映像を見ると台風の高波とはまったく違う浸入のしかたに、背筋が凍る思いだった。
そういえば、三陸沿岸に襲来した大津波に関する吉村昭さんの本が文春文庫に入ったはずだと、この機会に買い求め、さっそく読み終えた。三陸海岸津波*1である。
本書によれば、岩手県を中心とする三陸海岸津波が襲い、甚大な被害をもたらしたのは、近代以降では明治29年昭和8年、同35年の三度。今回のスマトラ沖地震津波の報道で、それまで地震津波による被害者数で過去最大だった三陸津波を上回ったと言われているが*2、これは明治29年津波のことで、死者22565名を数えた。
読むと、三度の津波の描写がスマトラ沖地震津波の恐ろしい映像と重ねあわさり、なまなましく立ち上ってきて思わず身震いした。本書では津波襲来時の様子、被害者たちの体験談、前兆となった異変などが淡々と記録されている。
今回の津波地震の揺れをほとんど感じなかったインド沿岸やアフリカ大陸沿岸諸国にも犠牲者を生んだ。その意味では三度の三陸海岸津波のうちチリ地震津波が比較的似ているかもしれない。それにしても、地球の裏側にあるチリで起きた地震による津波が翌日日本に到達し、そればかりか被害を与えたという事実はこれもまた想像を絶する。
チリ地震津波は、過去二度の津波とくらべ、寄せ方が違ったという。

沿岸で夜明けの海面を見つめていた或る漁師は、「大変な引き潮のあと、水面がモクモクと盛り上がって寄せてきた」と言い、他の漁師は、「海水がふくれ上って、のっこ、のっことやって来た」とも言った。つまり津波は、過去の津波のように高々とそびえ立って突き進んでくるものではなく、海面がふくれ上ってゆっくりと襲来したものであったのだ。(159頁)
スマトラ沖地震津波が沿岸の浜辺や建物を襲う映像を見ると、ソロソロと忍び寄るような、上記引用文の表現で言えば「のっこ、のっこ」と浸入してきたように見える。海水がいったん引いて押し寄せたときの力を想像すると、表現として「のっこ、のっこ」とのどかな印象すら与えるものではあるが、台風時の高波が防波堤にぶつかって砕けるパワーをはるかに凌駕しているように思える。
地震にばかり気をとられていたが、津波の怖さもこれと同じにわきまえられてしかるべきだ。スマトラ地震津波の報道を知り、吉村さんの本を読みそう感じた。

*1:ISBN:4167169401

*2:津波の犠牲者数の過去最高は、1883年のクラカトウ火山噴火を原因とした36000名だった。