濹東綺譚の新聞連載原稿

  • 開館80周年記念特別展―新収稀覯本を中心に―@天理ギャラリー

同僚からこの展覧会のことを教わった。そもそも天理ギャラリーという天理図書館の東京出張所のようなところがあることすら知らなかった。神田錦町にある「東京天理ビル」の9階にある(http://www.sankokan.jp/exhibition/gallery/index.html)。
芭蕉自筆やら、里村紹巴自筆やら、曲亭馬琴自筆、大槻玄沢自筆本などという文化財級の写本がずらりと展示されており圧巻である。しかも入場無料なのだから素晴らしい。
観に行った第一の目的は、ここに展示されていた『兼見卿記』という安土桃山時代の公家の日記の自筆原本だったのだが、まあそれはいいとして、もうひとつ要注目なのは、永井荷風『濹東綺譚』の朝日新聞連載のための原稿だった。
『濹東綺譚』は執筆ののち、まず私家版として刊行され、ついで朝日新聞に連載、岩波書店から単行本刊行という順序でおおやけにされる。岩波の旧版全集は、中央公論社版全集に荷風が書き入れをしていた手沢本を底本にし、新版全集は岩波の初刊単行本を底本にしている。
全集の解題などを見ると、私家版と朝日新聞、岩波単行本にそれぞれ微妙な異同があるらしい。朝日新聞でも東京版と大阪版に違いがあるようだ。機会あるたびに自作に手を加えていた荷風ならではと言えよう。それではこの原稿(原稿用紙に鉛筆書き)はどう違うのだろう。残念ながら展示品や図録(1500円)だけからは全貌はよくわからない。
この原稿は、平成15年(2003)の明治古典会古書大入札会に出品され、最低入札価格3000万円の値が付けられていたものである(展覧会を教えてくれた同僚のご教示)。いったい落札価格はいくらだったのだろう。この原稿が出たときには、きっと話題になったはずであろうが、わたしはまったく記憶にない。
ン千万で購入したにしては、展示ケースのなかで、江戸時代の板本がたくさん並んでいるなかに一緒に並べられていて目立たず、これを大々的に宣伝しようというそぶりも見えない。奥ゆかしいというのか何というのか。
『濹東綺譚』私家版の種田政明宛献呈本というものも参考展示されていた。たしか私家版はできあがりに荷風が不満で、ほとんど流通していないまぼろしの本だったのではなかったろうか。展示キャプションにも、函のある私家版は珍しいとあった。種田政明という人物は、『濹東綺譚』の主人公である作家大江匡が構想中の小説「失踪」の主人公、中学教師種田孝平のモデルとされているのだという。旧版全集の書簡の巻(第25巻)に種田宛の書簡が何通か収められているが、ずいぶん丁寧な内容なので驚いた。荷風とどういう関係にあったのだろう。しかしこういうものも天理は持っているのだなあ。恐れ入った。