節目の年もう一人

昨日色川武大没後20年、松本清張田中絹代(ついでに太宰治)生誕100年、獅子文六没後40年と書いたが、もう一人大事な人を忘れていた。
永井荷風。生誕130年および没後50年。今日の朝刊にあった岩波書店の広告で、『文学』が荷風特集をやることを知り思い出した。そうそう、先日新版『荷風全集』の第二次刊行が生誕130年・没後50年を記念して始まるということをリーフレットで知り、一部もらってきて手もとに置いてあったのだ。
新版『荷風全集』が出たのは1992年。すでにそのころ『断腸亭日乗』を読み荷風に関心があったので、買おうか迷ったものだったが、その他の作品に食指がそそられず、購入を見合わせたのだった。
結局あれから17年、思いがけず東京に移り住むことになり、また川本三郎さんらの精力的な仕事に接して荷風作品への関心はぐんと高まった。旧版全集を8000円で購入したのはいいものの、自宅に置くスペースがないためいまでも職場に並べている(→2004/3/15条)。大地震が起きたら、荷風全集はわたしの頭を直撃する位置に並んでいる。荷風全集で死ぬのも一興か。
それはともかく、旧版全集ですらもてあましているのに、いまさら新版を買ってどこに置くのか。三島全集ですら並べることができずにいるというのに。ついに澁澤全集を実家で預かってもらうしかないのか。つまりもう買う気でいるのである。
先日角川文庫から『墨東綺譚』が改版刊行されたのを買い求め、何度目になるかわからないが再読した。すでに岩波文庫版など持っているのだが、木村荘八の挿絵が入り、稲垣達郎・石川淳の解説が入っていることが購入の決め手となった。
もちろん岩波文庫版にも木村荘八の挿絵が入っている。あえて購入したのは、本を買うという行為が再読の大きなきっかけになるからだ。
そして一読。やはり素晴らしい。「わたくし」こと大江匡が、ふと足を踏み入れた玉の井の陋巷で梅雨時の驟雨に遭い、作家本人と同じく周到に手にしていた蝙蝠傘を広げたところに「檀那、そこまで入れてってよ」と女が入ってくる場面は、それまで静かに「書巻の気」をただよわせていた物語が、“ゲリラ雷雨”などと無粋な名前がまだ付けられていない、季節感たっぷりの天候の変化と人間の息づかいによって、劇的に転換する名場面である。
近代日本文学のなかで一つ作品を選ぶ、あるいは一つ名場面を選ぶとするなら、いまのわたしは迷わず『墨東綺譚』を挙げ、このお雪と大江匡の邂逅場面に指を屈するだろう。
うっとりしながら『墨東綺譚』を読み終えたわたしは、荷風熱醒めやらず、そのまま講談社文芸文庫版『日和下駄』を読み始め、いま、時間を見つけては川本さんの『荷風と東京』を少しずつ読み直しているところである。
墨東綺譚 (角川文庫)日和下駄 (講談社文芸文庫)荷風と東京―『断腸亭日乗』私註