『わが荷風』に影響されて

わが荷風

野口冨士男さんの『わが荷風*1岩波現代文庫)を読み終えた。講談社文芸文庫版が出たときに読んで以来(→2002/12/17条)、9年半ぶりの再読である。やはり面白い。
初読のときに書いた感想はわれながら上出来だったとあとあとまで思っていて、その記憶も強かったためか、“荷風はフィジカルに読め”というスローガンがずっと頭にこびりついていたらしい。
旧冬上梓した拙著『記憶の歴史学*2では、検討対象のひとつとして『断腸亭日乗』を取り上げた。このときはとくに野口さんの本を意識したつもりはまったくなかったのだが、拙著における『断腸亭日乗』分析の仕方が『わが荷風』における野口さんの方法を踏襲しているので苦笑してしまった。
拙著のなかでは、『断腸亭日乗』中の切除抹消箇所を数えて集計し、そこから復元された箇所との割合などを計算した。また、切除箇所をエクセルで一覧表にしたところ、切除がまったく見られない時期があることに気づいた。それは、『濹東綺譚』が執筆・発表された時期と、荷風が浅草オペラ館通いに熱中していた時期であり、ここから、『濹東綺譚』とオペラ館は、抹消・切除しなければならないような激烈な反社会的言辞を表面化することを食い止める安全弁の役割を果たしていたと指摘した。
会心作『濹東綺譚』の執筆から発表へと至る一種の陶酔状態と、オペラ館通いという熱狂状態があったため、ふだんの生活で鬱積する国家、政府、社会への不満が外に(日記の表面に)出てこずにすんだというわけである。
分析していてこういう結論を得たとき、これまでの『断腸亭日乗』論では指摘されていない(たぶん)新味があり、これまたわれながらいい線をいっているのではないかと満足をおぼえた。このように『断腸亭日乗』をこつこつと読んで数量的分析をするという方法は、まったくもって『わが荷風』の影響にほかならない。再読してそれを痛感した。
自己満足のあまり、拙著を川本三郎さんにも献呈したのだけれど、反応は何もなかった。仕方のないことだとは思う。もし丸谷才一さんに献呈したら注目してくださっただろうか。高望みだろうな。
歴史の側から拙著をお読みくださった人のなかには、日本史の本らしからぬ叙述として、古川ロッパの日記や『断腸亭日乗』に言及している点をあげられた方がいるが、前々から「新・読前読後」を読んで下さっている方にとっては、逆にこのくだりでニヤリとされたに違いない。自分としては、奇をてらってロッパ日記や『断腸亭日乗』を取り上げたわけではない。日本史の史料となる日記とおなじ位置づけで、愛読していたロッパ日記や『断腸亭日乗』を分析の俎上に載せてみたいと思っただけだ。もちろん、野口さんが『わが荷風』で再三注意しているように、『断腸亭日乗』は装われた日記として、すべてを鵜呑みにしてはいけないという史料批判を怠ることはできないが。
『濹東綺譚』を論じた「8 それが終るとき」などにおいて、野口さんは、自身の玉の井見聞の記憶や、自身が吸った時代の空気と重ね合わせて、作品を論じている。ただしおなじ時代に生きた人間でなければこの作品の味はわかるまいという、大上段に立った姿勢をとってはいない。こういうことも知っておかなければ、この作品の理解は一面的なものになってしまうと、はるか後から生まれた者へ教えさとすようなやさしさが含まれているように思われる。帯に「若い読者のための荷風案内」とあるのは、その意味で的を射た紹介文だと言えよう。