単行本も文庫本も本である

単行本が何年かたって文庫化される。といっても、文庫化によって二度目の「本生」をあたえられる本はごくひと握りの少数派で、こういうレールに乗ることができる本は恵まれた立場にあることは間違いない。
享受者たるわたしたちにとって、単行本の文庫化というできごとは、どんな意味をもつのだろうか。
まず、すでに単行本の時点で購入し、読んでいる場合。文庫化されたものをふたたび購うか、あきらめるか。常識的には、一度読んでしまった本なので、買う必要はないはず。けれど、文庫化にあたり、新稿や改訂、「文庫版あとがき」や解説などの付加価値があることもあるので、有力な購入動機となる。
省スペースという考え方もある。文庫で出た本を買い、もとの単行本は売り払う。付加価値型といい、省スペース型といい、買い直した文庫本をすぐ再読するわけではない。付加価値型の場合厄介なのは、残すための言い訳として、単行本と文庫本はいわば別の本であるから、結局双方とも手もとに置いておくというパターンだ。
好きな書き手の本であれば、なおさら両方を残したくなる。言うまでもないことだが、単行本には文庫本にない造本的魅力があるからである。それを承知で泣く泣く処分するのは、たとえば現代小説の場合が多い。小林信彦作品も、筒井康隆作品も、重松清作品もそのパターンに入る。
いっぽうで、川本三郎堀江敏幸鹿島茂といったあたりの書き手は、とりわけ愛着があるので単行本もそばに置いておきたい。ただ鹿島さんは最近そのグループを外れ、「文庫を買ったら単行本は処分する」型か、「文庫が出ても買わない」型になりつつある。あまりに刊行頻度が早いからだ。
さらに、重松さんのような大人気作家の場合、単行本で出たとき買うタイミングを逃してしまい、そのままになっているうちに文庫化されてしまうことがある。そういう本に出会うと、「儲けた」という気分になるのはちょっと変だが、そんな経験をお持ちの方もいるのではないだろうか。
「文庫が出ても買わない」型は、書き手によるだけではない。最近では、新刊、というか本に対する執着心そのものが低下しつつあるので、「文庫はいいか」とあきらめることが多くなってきた。つまり読み手側の意識の変化でもある。もっと加齢すれば、「単行本は重い」という理由で、「文庫を買ったら単行本は処分する」型が盛り返す可能性は大いにありうる。
次に、単行本の時点で購入したものの、未読の場合。本好きとしては悲劇的な事件である。まず「お金の無駄づかいをした」と強く悔やむことになる。でも逆に、この悔悟が裏返しになってその本に対する興味を再燃させ、読書のきっかけになることがある。
やはり買うときがその本を一番読みたいときであって、文庫化とその購入を契機に、単行本で読まないままだった作品をようやく読んだという例も少なくない。単行本未読のまま文庫化され、文庫本も購ったがそれも読まない…というのは目も当てられないが、この例もまた、情けないことに皆無ではない。
珍しいパターンとしては、文庫本で購い、面白く読んだ本の元版(単行本)を古本屋で見つけたので、それも買い求めるというもの。はっきり言ってこれこそ無駄の極地だろう。買う場合、財布の中身と相談してのことだが、文庫化された単行本はたいてい値崩れしているので、廉価で求めやすかったりする。最近では、海野弘さんの『モダン都市東京』がそれだった。
さて、川本三郎さんの荷風と東京 『断腸亭日乗』私註』の話である。このほど岩波現代文庫から二分冊で刊行された。各1000円だから、文庫本としてもけっこうな値段となる。もっとも元版は菊判に近い大型で600頁を超える大著ながら、本体3107円だったから、元版の安さが逆に奇跡的に思えてしまう。
実はここ何ヶ月か、元版のほうを暇を見つけては少しずつ再読していたのだった。何か屈託することがあると『荷風と東京』のページをひらく。すると、心のわだかまりが嘘のように消えてなくなってしまうのである。そんな清涼剤として、たいへん素晴らしい本だった。
元版は第十四章「歌舞伎―愛すべきいかがわしさ」まで読んでいたので、文庫本を買い求め、そのつづきから読みつぎ、最後まで読了した。そのあたりの影響は18日条でも書いたとおりである(→10/18条)。文庫版はたしかに再読の強いきっかけになる。
元版があれだけの大著であるので、手軽な文庫版になったことは、大きな意義がある。正直寝ながら読むのは辛かった。しかし文庫版ゆえのデメリットもある。文庫版あとがきにあたる「岩波現代文庫版の刊行にあたって」で川本さんも「図版や写真は必要最小限のものを掲載することとし、適宜整理した」と述べられているように、元版にあった森英二郎さんの版画や、荷風自筆のスケッチ、各種写真、また、玉の井について論じた第三十章に挟み込まれた小針美男氏作成の玉の井文学地図など、大判の本ならではの図版が削られてしまっているのは、とても残念でなことであった。これだけでも元版を手もとに残す価値がある*1
また、元版にあった各種索引のうち、引用された『断腸亭日乗』の日付作品である「断腸亭日乗出所」索引と、「引用書目」索引が削られている。これもまた、致し方ないことながら、残念。
単行本も文庫本も、印刷はともに精興社である。でも、単行本の時点からあの精興社独特の風雅な字体を用いず、別の字体だった。別の字体ながら、それなりに文体や内容にマッチし、『断腸亭日乗』などの引用文は正確な(中途半端に陥らない)正字であったため、とても好ましかったのである。
文庫版では「精興社体」になるのかとひそかに期待していたのだが、単行本よりいっそう一般的な、あまり特徴のない字体になってしまったうえ、引用文の正字は新字に直されている。これもまた残念。
こうなると、当然元版はなお生命を保っているというべきである。もし文庫化により元版の古書価などが安くなれば、買って損なしと言えるだろうし、元版を処分するのはもったいないと思う。
荷風と東京(上) 『断腸亭日常』私註 (岩波現代文庫)荷風と東京(下) 『断腸亭日常』私註 (岩波現代文庫)荷風と東京―『断腸亭日乗』私註

*1:ただしそのかわり、岩波の編集部が独自に撮影した2009年5月時点での玉の井の写真など、新たに挿入された図版もある。