忘れぬうちに2冊の本

バイバイ、ブラックバード

読み終えたまま記録を残さないと、そのうちに内容を忘れ、読んだこと、買ったことすら忘れかねない年齢になってきた。あまり時間が経たないうちに簡単に感想だけ書こうと思う。
まず伊坂幸太郎さんの『バイバイ、ブラックバード*1双葉文庫)。この本は、小説を読む愉しさを実感させてくれるものだった。奇想というほかないのだが、現実離れしすぎるわけでもない。そのあたりのバランスが絶妙。
何か問題を起こして、「あのバス」に乗って遠いところに連れて行かれることになった主人公が、同時に付き合っていた五人の女性に別れを告げにゆくというのが筋。この筋立てがすでに突飛なのだが、何よりも奇想に満ちているのが、主人公がそれぞれの女性と付き合うことになったきっかけの挿話。よくそんなこと、そんな女性像を考えつくものだと感心してしまう。
女性像ということでいえば、主人公を「あのバス」に連れて行く使者となった大女の繭美。彼女の辞書にないことばは彼女の身についていないということで、たとえば「常識」「色気」「上品」などなど。本当に辞書を持っていて、言葉が線で消されているというのがブッキッシュでリアルだ。何か感情を示そうとしたりするとき、そのことばが辞書にあるかどうか確かめるあたりのギャグセンスも素晴らしい。
その大女のイメージは、マツコ・デラックス以外の何者でもないのだが、もし彼(女)が芸能界で売れっ子にならず、わたしたちの意識にのぼる人物でなかったとして、この本を読んだとしたら、はたして繭美という女性像を文章で読んだとき、誰をイメージすることになるのだろうというほど、マツコ・デラックスの姿と話し方を頭に浮かべながらこの小説を読んでしまっていた。
次に、高橋英夫さんの文人荷風抄』*2岩波書店)。『断腸亭日乗』を読み込んで、荷風にフランス語を習いに来ていた女性阿部雪子の姿を浮かび上がらせた「フランス語の弟子」の部は圧巻だ。その前の曝書をテーマにした連作もそうだが、『断腸亭日乗』にはまだまだたくさんの「読みどころ」が隠れているものだと嬉しくなる。
この「フランス語の弟子」では、中央公論社全集(東都書房版)版断腸亭日乗のテキストと岩波書店全集版テキストの異同についても興味深い考察がなされていた。拙著でも触れたことがあるが、わたしは自筆浄書本が基本にあって、戦後東都書房で刊行されたとき、原本に拠りつつ荷風が記憶をたよりに改変を加えたのだとばかり思っていた。
本書を読むと別の考え方もできそうだ。つまり東都書房版にもそれが拠った日記原本があって、その後荷風によって改変され、最終的な自筆浄書本となって今に伝わり、岩波全集版になったという流れ。いつか“『断腸亭日乗』の史料学”のような研究をやりたいものだと思う。