第102 梅雨時の鎌倉にて

松田正平展

昨夜ツイッターで、フォローしている魅惑の名画座さんのツイートにより、昨日から川喜多映画記念館にてこの企画展が始まったことを知った。
今日は先日の日曜出張の代休で休みである。美術館と映画館をはしごしようかなどと計画を立てていたが、急遽予定変更を決めた。しばらく鎌倉を訪れていないということもあった。
せっかく鎌倉に行くのだからと、ほかに観るべきところはないかと、まず調べたのが神奈川県立近代美術館だ。ちょうど関東圏初の回顧展を謳った「松田正平展」開催中であることを知った。ぼんやりとだが、洲之内徹『気まぐれ美術館』のなかでよく登場する名前として憶えていた。絵自体は素朴すぎていわゆる「ヘタウマ」のような印象を与えられ、強く惹かれるような魅力を有していない。でも、松田さんは洲之内さんが大好きな画家だったらしい。『気まぐれ美術館』を特集した『sumus』5号に収められている人名作品を引くと、けっこう名前が登場する。これでますます鎌倉行きへの思いがつのった。
幸い朝の暴風雨は午前中のうちに止んだ。鎌倉に着いた頃は雨もあがり、蒸し蒸しと暑くて、お世辞にもおでかけ日和とは言えない。でも不思議である。大船から北鎌倉へ入るあたりから気分が高揚しだし、鎌倉駅を降り立ったときにはウキウキしてくる。さすがに小町通りの混雑ぶりには閉口する。平日だからと安心していたが、修学旅行や遠足の子供たちで大混雑。これが土日だったらどうなるのだろう。恐ろしい。
川喜多映画記念館は、小町通り鶴岡八幡宮の突き当たり近くまで北上し、左に入ったところにある。小町通りから一歩横丁に入ると、別世界のように静かな空間が広がる。小町通りの喧噪が聞こえない。喧噪を飲み込むような大邸宅が並んでいる。記念館は川喜多長政・かしこ夫妻の旧宅跡に建てられたのだという。訪れる前は、こんな鎌倉の町中に大邸宅があるのかと訝しんでいたけれども、いざ行ってみると、そこは「町中」という感じを受けない。背後に山が迫っていることもあるが、逆に鄙びた感もある。
記念館の展示は、東宝映画のポスターやカレンダー、小林桂樹さん所持の台本などが展示されていた。観たことのある作品は、ポスターとそこに並ぶ俳優の名前を見ながら映像を思い浮かべる。未見の作品は、俳優の名前によってどんな取り合わせになるものか想像する。
東宝の看板シリーズだった社長シリーズ・駅前シリーズのポスターが多かったが、とくに未見作品が多い駅前シリーズは、ポスターとタイトルを眺めていただけで面白そうで、今後要チェックだなどと思ったりした。昭和36年に予定されている製作作品ラインナップのチラシがあり、たいていは知っているタイトルが多いなか、「第六の容疑者」などという三橋達也宝田明主演のミステリ映画っぽいタイトルを目にして、いずれ観たいなあなどと心にとめる。
それほど展示スペースは広くないのだけれど、ポスターなどをじっくり見ていたら意外に時間が経ってしまった。その足で鶴岡八幡宮の脇から近代美術館の松田正平展へおもむく。
展示を観はじめて驚いたのは、初期作品が、晩年の素朴な感じとはまったく違った正統的な油彩画だったこと。東京藝大に入り、藤島武二に師事し、パリへの留学体験もあるような画家だったとは知らなかった。戦後あたりから、わたしが知っている画風に変化してゆくらしい。
散策のお供に携えた『気まぐれ美術館 人魚を見た人』*1(新潮社)は、カバー装画と題字が松田さんである。洲之内さんの松田作品の偏愛ぶり、松田さんといかに親しかったかがこれでわかるというものだ。松田さんが好んで描いた犬をめぐる交流が「正平さんの犬」という一文となって収められている。第一印象は悪い言い方だが粗暴にしか見えなかった犬の横顔が、展覧会でじっくり見ていると何ともかわいらしく思えてしまうのだから不思議である。
『人魚を見た人』の表紙を飾る「笛吹き」も展示されていたのが嬉しい。第二展示室に陳列されていた終の棲家となった宇部周辺の瀬戸内海・周防灘を描いた風景画は、黄色の色合いがやわらかさをかもし出して実におだやかで気持ちがいい。
『人魚を見た人』の「耳の鳴る音」のところに多数収められている、これまた素朴な、でも見るほどに味わいが出てくる素描が展示されていなかったのは残念。でも図録に収められているスケッチ帖でその渇を癒すことができる。図録はカバーが二種類あって選べるようになっている。わたしは「四国犬」バージョンを選んだ。展覧会を見ていて「いいなあ」と感じていた作品が絵はがきになっていたのも嬉しい。ここにも「四国犬」が含まれる。さてこの絵はがきは、だれに、どんなときに使おうか。
充実した休暇を過ごすことができ、足どりも軽く鎌倉駅に引き返す。ごみごみした小町通りを避け、脇道に入る。そうした入ってすぐのところに古本屋の藝林荘があった。このお店はここにあったのか。でも今回購入したのは、もうひとつの木犀堂から、庄野潤三さんのエッセイ集『散歩道から』*2講談社)。
昼ご飯を我慢して、帰りは“シウマイでビール”をやりたかった。鎌倉駅は意外に駅弁販売に力を入れていない。おなじ神奈川県だから、駅の売店崎陽軒のシウマイが買えると思っていたが甘かった。慌てて崎陽軒のサイトでお店を調べたところ、駅前の東急ストアに出店していることを知る。そこでシウマイを購い、ビールも買い込んで、湘南新宿ラインのグリーン席を奮発し、至福のひととき。蒸し暑くて、汗かきのわたしにはふだんならたえられない気候なのだが、鎌倉はいくぶんか風が吹いている。環境もいい。歩いたあとのビールも最高。梅雨時ながらいい散策となった。
秋に川喜多映画記念館で「東宝映画のスターたち part2」(女優編)をやるそうだから、次の鎌倉訪問はこのときか。もう少し懐を豊かにして訪れたいものである。