iPodと落語とジャズ

「新・読前読後」の更新ができないでいたあいだ、自分のなかでちょっとした嗜好の変化があった。ひと言でいえば「落語とジャズ」である。
嬉しい副収入があったので、そのお金でiPodを買ったのである。最初はユーミンやサザン、スピッツなど、好きでいながら最近聴いていなかったアーティストのアルバムを入れ、通勤退勤時聴いていたが、だんだん物足りなくなった。容量にもかなり余裕がある。
たまたまそこに目に入ったのが、雑誌『サライ』の落語特集だった(2008年12月18日号・特集「続々々落語入門」)。付録CDをiPodに入れ、寝る前に聴いてみた。すると落語の世界に抵抗なく入りこんでしまった。志ん生の「鮑のし」を聴くと、一日の疲れが吹き飛んでしまうような心地いい笑いの世界にひきずりこまれた。そんな自分の感受性の変化にも驚かされた。
サライ』ひいては小学館の戦略に見事はまったというべきか、まもなくその小学館からCD付マガジンのシリーズ『落語 昭和の名人 決定版』の発売が始まり、その第1回が志ん朝。さっそく購ったのはいうまでもない。収録されていたのは「夢金」「品川心中」の二席。このうち「夢金」での森々と静まりかえった雪の大川の夜景が彷彿とするような語り口にしびれてしまった。やはり志ん朝は面白い。
もうひとつiPodを手に入れての変化は、ジャズを聴きはじめたことである。ジャズという音楽ジャンルは、クラシック同様これまでのわたしには無縁だった。
パソコンのモニタに向かい文章を考えたり、文字のつき合わせ作業のような視覚主体の作業には、歌詞があって思い入れがまつわるアーティストの曲は不向きである。つい口ずさんだりして、作業に支障が出る。そこで何かBGMがわりに聴くことができ、ipodによって外部の雑音を遮断して作業に集中できる音楽はないかということで、思いついたのがジャズだった。
といっても、ジャズの「ジ」の字も知らず、ミュージシャンの名前すらわからない。何から聴けばいいのだろう。表現はおかしいが、鍵盤の上で指をすべらせ、ころころと転がすような軽快なジャズ・ピアノの音色が気になっていたので、まずはジャズ・ピアノの名曲集のようなアルバムを借り、iPodに入れ、またパソコン作業時はiTunesで聴いているうち、すっかりそのスタイルに馴染んでしまったのである。
いいタイミングで、平凡社新書からブルーノートクラブ編ブルーノート100名盤』が出たので買い求め、そのなかからピアノが良さそうな盤をチェックし、近くのTSUTAYAから借り出して、せっせとiPodにためこんだ。ソニー・クラークハービー・ハンコックなどである。『Cool Struttin'』や『Maiden Voyage』である。
いっぽうの落語熱も醒めない。さいわい近所のTSUTAYAには志ん朝の代表的音源である「落語名人会」シリーズや「志ん朝復活」シリーズがすべて揃っていたので、レンタル半額セールがあるたび、3枚や5枚とちょっとずつ借りてきては、ipodに入れた。CDだから当日返却の半額で一枚100円なのはありがたい。最近ようやくコレクションが完了したが、「惜しみ癖」のあるわたしのこと、「聞き惜しみ」のせいでまだ半分ほどしか聴いていない。たのしみはあとにとっておく。
聴いたなかでは「愛宕山」や「百川」、「粗忽の使者」などが絶品で、志ん生のようなとぼけた味わいでぞろっぺえな語り口こそが落語の面白さだと思っていたわたしの認識はあらたまった。桂文楽三遊亭圓生の折り目正しい楷書の藝を継承し、歯切れのいい東京弁を駆使する志ん朝の落語をまず聴きたいと思ったのである。
何事も本から入るわたしのこと、志ん朝さんの口演を聴くかたわら、以前買ってそのままだった大友浩さんの『花は志ん朝河出文庫)を積ん読の山から掘り起こし、読んだ。そのなかに、志ん朝師匠がジャズ好きだったとして、こんな一節を見つけた。

落語とジャズは深い関係にあると思われる。実際に落語とジャズとは共通点が多い。落語家や落語ファンでジャズが好きという人は多いし、ジャズマンで落語好きも多い。共有財産としてのスタンダード(=古典落語)をもっていること。プレイヤー(演者)の自由度が大きいこと。文楽型・志ん生型のプレイヤーがいること(略)。ジャンルとしては、どちらも都市のノイズ(混乱・活気)から生まれてきていること。インテリ・中産層と庶民階層との交わりが成立に関わっていること。それに、奇人・変人が多いこと。(124頁)
わたしが落語とジャズを同時に聴くようになったのは、iPodを手に入れたこと、仕事に集中しながらそれを邪魔しない音楽を聴きたかったこと、頭の疲れを癒してくれる逃げ道がほしかったこと、といったこのタイミングでしか起こりえないきわめて実際的な理由にすぎないのだけれど、そうしてたどりついたのが、相互に関係が深いと大友さんが論じる落語とジャズだったことが嬉しかったし、何よりこの二つを結びつけてくれた本に出会えたのも、幸運というほかないのである。
ブルーノート100名盤 (平凡社新書)花は志ん朝 (河出文庫)