売られた喧嘩を買った結果

キムラ弁護士、ミステリーにケンカを売

年末に読んだこともあり、昨年読んで印象に残った本のなかに一冊書き落としたものがあった。木村晋介さんの『キムラ弁護士、ミステリーにケンカを売る』*1筑摩書房)だ。
めっぽう面白かったので、感想を書く前に弁護士ネタ好きの妻に渡してしまい、感想を書きそびれた。とはいえ面白かった本だから、何かここに足跡を残したいと、帰省のための新幹線車内で読み返したところふたたび興奮させられた。それでいながら、年末年始のだらだら生活でまたもや時間が過ぎ去ってしまったのである。
本書の影響力は甚大で、年末年始地元のブックオフにて、取り上げられたうちの3冊(宮部みゆき名もなき毒』、市川拓司『いま、会いにゆきます』、K・グリムウッド『リプレイ』)を買い求めてしまったほど。もっともこの3冊はすべて、本書を読んで「読みたくなった本」として妻がリストアップしたものである。
このうち市川さんの本はともかく、宮部さんの本はわたしも読んでみたいし(いま妻が熱心に読書中)、『リプレイ』は院生時代先輩に勧められ一読し、ひどく感心した記憶のある小説だから、本書を読んで再読したいという気持ちも高まってきている。
およそ小説、とりわけミステリを読まないという木村さんが、それは面白いものを読んでいないからだと喧嘩を売られ、「じゃあ面白いというミステリを持ってきなさい」と売られた喧嘩を買った結果できあがったのが本書である。
その論争相手が盟友目黒考二さんであり、その目黒さんがバックにいる『本の雑誌』編集部から提供された巷で話題のミステリが木村さんに提供され、木村さんは供述調書を読むごとく気になる箇所に付箋を貼りながら細かくチェックを入れていく。こんな本が面白くないわけではない。
法律家的観点から、ケチをつけるところは率直にもの申している。その舌鋒は酷烈だ。名作話題作もかたなしといった風情。そのいっぽうでケチをつける部分がなく、見事にしてやられた(楽しめた)作品に対しては、いさぎよく「完敗」を認める。その姿勢はきわめて爽快である。
攻撃されているミステリとしては、冒頭の『マークスの山』『半落ち』二篇がすさまじい。未読の『マークスの山』はまだしも、『半落ち』の場合、これがなるほどという指摘なのだ。きわめて常識的な指摘で、腑に落ちるのだが、読んでいる間はそうした瑕瑾に気づかなかった。気づかないほうが愚かなのではなく、気づかせないあたりが小説家の腕なのだろうと勝手に納得する。
新しめの日本人作家によるミステリだけでなく、『ダ・ヴィンチ・コード』など海外作品、また、『犬神家の一族』『Xの悲劇』『そして誰もいなくなった』『オリエント急行の殺人』など古典ミステリも俎上に載せられる。これら古典のなかで比較的評価が高いのは『オリエント急行の殺人』。この作品を論じた一文を読むと、木村さんはあの有名なトリックをまったく知らなかったらしい。だからこそ「設定の見事さ」に素直に頭を下げている。これは皮肉でもなんでもないが、『オリエント急行の殺人』のトリックを新鮮に受けとめられるのが羨ましい。
後半では、ミステリだけでなく、目黒さんが泣かされたような恋愛小説や家族小説、時代小説、現代のベストセラーも対象になっている。この手の作品では、『冬のソナタ』に電車のなかで誰の目も憚らず感泣したというのが意外だったし、『流星ワゴン』に完敗したというのは、この作品に泣いたわたしとしては嬉しかった。
海辺のカフカ』を徹底的にこき下ろしているのには笑えた。また、読んだ記憶も新しい『明日の記憶』については、さまざまな落語の演目が下敷きになっている(作者荻原さんは落語に精通している)という指摘が落語のパスティーシュでなされており、そうした予備知識のないわたしにとって、目から鱗の指摘だった。
わたしは小説を読むにあたっては、批評的に重箱の隅をつつかず、深く考えないで筋を追うことにつとめるタイプであるが、そんな立場に立つと気づかないことが何と多いか。少し小説の愉しみ方を変えた方がいいのかもしれないと反省させられるのであった。