「痴人の愛」はかくあるべし

荷風と谷崎

痴人の愛」(1960年、大映
監督・脚本木村恵吾/原作谷崎潤一郎/叶順子/船越英二田宮二郎川崎敬三多々良純三國一朗/菅井一郎/岩崎加根子春川ますみ/角梨枝子

先日観た(→2007/12/17条)のは1949年木村恵吾監督版だったが、今日は同じ木村監督が11年後の60年にリメイクした作品である。脚本は木村監督自身が執筆したことになっている。
同じ監督の作品であるので、基本的に流れは同じなのだが、ストーリーと登場人物に大きな変更が加えられている。
ストーリーについては、49年版を観たときに愕然としたラストの変更である。49年版では、宇野重吉譲治が勝利し、逆に京マチ子ナオミに馬乗りになって「何でも言うことを聞く」と言わしめていた。これは言ってみれば原作に対する冒涜である。個人的には面白くないものの(しつこい)、『痴人の愛』は男が敗北するものでなければならない。
この点60年版は、ぼろぼろになって帰ってきた叶順子ナオミに対し、船越英二譲治は許すどころか、すぐ攻守逆転され、馬乗りになって足を舐めさせられ、「何でも言うことを聞く」と言わされてしまうのである。『痴人の愛』はこれでなければ。理想的な『痴人の愛』である。
二本の間の相違はなぜ生じたのだろう。49年版は木村監督には不本意で、あらためて原作にそったかたちで撮り直したのか。だとしたら、49年版で男が勝利したラストにした原因は何なのか。当時の世相がそうさせたのか。あるいは、宇野重吉京マチ子船越英二−叶順子という主演二人の関係によって、たまたま49年版では宇野重吉に勝利させよう(京マチ子を男が征服した)としたからに過ぎないのか。
理由はよくわからないが、記憶が残っているうちにリメイク作品を観ることができ、二つの作品をくらべることができたのでよかった。
叶順子は、妖艶度では京マチ子に、小悪魔度では67年増村保造監督の安田道代版に及ばないものの、えもいわれぬ不思議な魅力がある。どこにでもいそうな普通の女の子が教育されればああなるかも…という雰囲気。
登場人物では、49年版にない、譲治の隣人である医師の役が新しく設けられた。演じたのは菅井一郎。49年版では譲治の同僚役(60年版では多々良純の役)だった。彼もまたナオミに惹かれるオヤジであり、零落したナオミとキスしただけでお金をむしり取られる役柄が哀しい。
三國一朗は、譲治の会社の専務の役。49年版では清水将夫が演じた。女言葉を使うキャラクターは同じなのだが、三國が演じると不快感満点の人物になる。これと比べてしまうと、清水将夫は品の良さを残していると言わざるをえない。濱田研吾さんに叱られるかもしれないけれど、とにかく三國のあのキャラクターは「不快」を絵に描いたようなもので、演技であるとすればもう素晴らしいというほかない。地に近いのだろうか、よくわからない。
一番の恋人役である熊谷は田宮二郎。49年版は森雅之であり、こちらのほうがお坊ちゃん風。田宮二郎は不良学生風。譲治の不在中にナオミの部屋に忍び込む学生の浜田は49年版は島崎溌という役者さんだったが、60年版は川崎敬三。気の弱そうな役柄である。49年版で三井弘次が演じた役は石井竜一という役者さんが演じていたようだが、こちらは逆に目立たなくなった。
ナオミの女の友人たちの一人に春川ますみが出ている。たしか谷崎お気に入りの女優さんではなかったか。代表作「赤い殺意」はまだ4年先だが、この映画ではなかなかチャーミングでよかった。