不思議な三角関係

よみがえる日本映画vol.4

「踊子」(1957年、大映東京)
監督清水宏/原作永井荷風/脚本田中澄江京マチ子淡島千景船越英二田中春男

荷風原作ということで興味があり、観に行ってみた。原作は戦時中昭和18年から19年にかけて書かれ、戦後に発表されている。短篇である。
浅草にある歌劇団で楽士と踊子をしているカップル(正式な夫婦かはわからない)淡島・船越のもとに、淡島の妹京マチ子が、田舎(金沢)の仕事(バスの車掌)をやめて上京してくるという電報が舞い込むところから話が始まる。
妹が京マチ子であるということから推察できるように、彼女は奔放な性格。踊子にしようと預けた振付師田中春男のみならず、船越もまた彼女の魅力にとりことなり、関係をむすんでしまうのである。
やがて彼女の妊娠が発覚するのだが、船越は当然自分の子であると観念し、姉の淡島もそのために船越をなじる。しかしながら、なぜかこれが決定的な夫婦の決裂に至らないのである。あくまで淡島も妹想いのいいお姉さんなのだ。妹を産科医院に預けて、女の子が生まれると「雪子」と命名、船越・淡島は、この赤ん坊を親のように可愛がる。このあたりの感情の推移が、わたしには理解しかねる。
いま「親のように」と書いたが、田中春男も京と関係をもっていたわけで、田中は船越が妹と関係を持っていたことも知らず、船越に「あの赤ん坊は自分の子だ。申し訳ない」などと謝る。こういう役に田中春男は適役。
肝心の京マチ子は、産んだ自分の子を育てようとする自覚はまったくなく、姉夫婦に預け、産科で知り合った芸者の影響で芸者になりたいと言いだす始末。挙げ句向島置屋に入って芸者になってしまう。このあたりのまわりの人間を振り回す奔放さ、わたしはちょっと苦手だ。谷崎の「痴人の愛」を思い出し、煮え切らない船越英二にも苛立ちをおぼえてしまう。京マチ子はナオミを、船越英二は譲治を演じたことがあるが、実はこの二人の共演ではない。京マチ子の相手役は宇野重吉(→2007/12/17条)、船越英二の相手役は叶順子だった(→2008/1/10条)。まあそれはともかく、このあたりの煮え切らなさを演じて船越英二は絶品で、風格がある。
いっぽうの淡島千景もいいのだ。自分の夫を奪われたにもかかわらず、妹が産んだ子を我が子のように可愛がり、育てる。そして妹の境遇を心配する。
結局船越・淡島は歌劇団を辞め、船越の実家である田舎の寺に引っ越す。二人はお寺の境内で子供を預かる保育園のようなことをしているのだが、そこに、芸者から二号さんとなってさらに捨てられた京マチ子がやってくる。落魄の身である。そんな無責任な妹にすら、淡島は涙を流して「子供に会って」というのである。なんて懐の大きい人なのだ。この慈愛、ひたすら待つ立場というのは、たとえば「大番」シリーズのおまきさんにも通じる淡島さんの持ち役だろう。はまり役なのである。いっぽうの京も、別に船越やわが子に未練があってやってきたのではない。遠くから眺めるだけでいいなどと殊勝なのである。
映画は子どもたちのお遊戯の伴奏のためオルガンを弾く船越の姿で幕を閉じるが、三角関係のどろどろした展開なのに、船越も淡島も不幸になっていない。京マチ子だけが少しばかり不幸を背負っているが、これは自分が選んだ道。恋愛の結果としての不幸ではない。産みの母を知らない乳児も、きっと不幸せにはならないのではないか。いったいこの平和な三角関係は何なのだろう。
不思議に感じたので荷風の原作を読んでみた。流れはだいたい同じであり、淡島さんの役柄も原作から離れていない。荷風も泥沼の情痴劇に仕立てていない。とはいえ映画のラストで感じさせた「誰も不幸にならない」という感覚は原作にはないから、これは清水宏監督と脚本田中澄江の功績なのだろう。最後の子どもたちというのは、やはり清水監督のお気に入りということなのだろうか。
ちなみに京マチ子も、先ごろ惜しくも亡くなった淡島千景も、ともに1924年生まれ。映画では姉妹役。この作品の時点でお二人とも33歳なのだ! 京さんの妹役は多少トウが立った印象だったし、あまりわたしは彼女の妖艶・グラマラスという点に惹かれない。むしろ淡島さんの母性のほうに惹かれるものを感じてしまうのである。
荷風の原作は、二箇所ばかり、船越が演じた男(山ちゃん)と京が演じた女(千代美)が一夜をともにする場面があるが、いずれも「……」と、具体的な描写がまったくない。吉行淳之介―野口富士男説のように、本当はこの部分に春本的なくだりがあって、発表時には周到に削除されたというのが、現実味を帯びて感じられる。