金曜日は美術館へ

あなたに見せたい絵があります

仕事帰りにブリヂストン美術館へ行き、開催中の「あなたに見せたい絵があります。」展を観る。金曜は20時まで開いている。以前岡鹿之助展を観に訪れたときも金曜だった。つい最近のことだと思っていたが、驚くことに四年前である(→2008/5/1条)。月日が過ぎるのが早い。自分でも想像すらしていなかったことだが、この間本を2冊も書いたというのが、時間の経過を早く感じさせた原因だろう。「夢中になれる何か」が「明日へいざな」ったわけだ。
さてこの展覧会は、京橋にあるブリヂストン美術館の開館60年を記念して、ブリヂストンの創業者石橋正二郎氏が蒐集し、現在同館と久留米の石橋美術館が収蔵している名画を一堂に展示するものである。展示は11の章に分かれ、それぞれ自画像・肖像画・ヌード・モデル・レジャー・物語・山・川・海・静物・現代美術というテーマ名称で、そのテーマにそって作品がまとめられている。
それにしても名だたる画家の名品ぞろい。ため息が出る。1章自画像では、いきなり青木繁の自画像、そして中村彝の自画像にガツンとやられる。中村彝の自画像、俗に苦虫を噛みつぶしているようなので「にがむし」と呼ばれているそうだが、いままでよく観ていたのは洲之内コレクションの自画像のはず。もちろんモデルはおなじだから、そう雰囲気は変わらないのだが、この石橋コレクションの中村彝自画像はかつて観たことがあるのかどうか。岩阪恵子『画家小出楢重の肖像』*1講談社文芸文庫)のカラー口絵で見知っていた「帽子をかぶった自画像」の現物にお目にかかることができたのも嬉しい(ただし岩阪さんの本は読もうと思って枕元に置かれたまま未読)。
ここにはレンブラントやマネ・セザンヌピカソといった、名前を出すのもいまさらという有名画家の自画像も並んでいたが、自分にとっては青木繁・中村彝・小出楢重古賀春江といった日本人画家のそれで十分満足。
こんな調子で書いていたらたいへんな長文になってしまう。端折ろう。2章肖像画では、関根正二「子供」、3章ヌードではマティス「画室の裸婦」、国吉康雄「横たわる女」、5章レジャーではロートレック「サーカスの舞台裏」、6章物語では青木繁「海の幸」など青木の4作品、7章山では雪舟の「四季山水図」もいいが、それ以上にアンリ・ルソー「牧場」と岡鹿之助「雪の発電所」が素晴らしい。8章川ではモネ「睡蓮」がある。でも好きなのは佐伯祐三「テラスの広告」とアンリ・ルソー「イヴリー河岸」だ。9章海はモネと青木繁による、海岸の波しぶき競演、10章静物では藤田嗣治「猫のいる静物」「ドルドーニュの家」の2作品、11章現代美術では、野見山暁治「風の便り」だろうか。
書ききれないが、ルノワールドガ、マネ、ルオー、ゴッホセザンヌ、ゴーガン、ヴラマンク、クレーなど、世界に名だたる画家の作品が贅沢に並べられているのである。
実は今回、わたしの真の目当ては、これら展覧会展示作品ではなく、この展覧会にあわせて「新収蔵作品」として展示されたうちの一点、岡鹿之助の「セーヌ河畔」にあったのだった。新収蔵作品の展示室はミュージアム全体のもっとも奥まった場所にあった。6章物語で青木繁作品を堪能して次に進むと、目の前に穏やかな岡作品が待っていたのである。これは至福の瞬間だった。ピンクがかった色の雲と青空の下、セーヌ河畔で優雅に釣り糸を垂れる人びとが点綴される。素晴らしいと息をのむ。この瞬間、一週間の疲れと憂いがきれいさっぱり吹き飛んだ。
このとき、心から岡鹿之助の絵が一枚欲しい、と思った。けれどもいっぽうで、「わが生涯の収入は一点の岡鹿之助に如かず」という諦念もわきあがる。岡鹿之助の絵がかかった書斎のある家に住む。その家は、できるなら「洋館」がいい。そんな程度の“小金持ち”になる。見果てぬ夢。
この新収蔵作品の部屋の左手に、7章山の部屋がある。ここではもう一枚の岡作品が待ち構えている。岡が好んで描いた画題である発電所と雪を組み合わせた「雪の発電所」。そしてその左隣には、岡が敬愛した画家アンリ・ルソーの「牧場」。アンリ・ルソーと岡の作品が並べられてあるという至高の空間。右側には雪舟の四幅がかけられてある。この部屋と新収蔵作品を往復し、しばらくここ奥の院から次へと足を進めることができなかった。
帰宅後『岡鹿之助展』図録を繰ると、岡にはこのルソーの「牧場」を分析した「ルソーの構図」という文章があり、そのデッサン図まで掲げられていることを知った。そんな「牧場」と、岡自身の作品が隣同士に並べられてあるという妙味。
ちなみに新収蔵作品「セーヌ河畔」もこの図録に載っている。ということは、四年前の展覧会でわたしも一度お目にかかっているはずなのだ。図録を見ると当時は個人コレクションだったらしく、この間石橋財団が購入したということなのだろう。いったいいくらするのか。やはり「わが生涯の収入は一点の岡鹿之助に如かず」なのか…。
10章静物にあったフジタ作品の、面相筆による細い線をたしかめようと目を近づけたら、焦点がぼやける。離すと焦点があった。何度目を近づけても、細かな線は間近で観ることができない。これで気づいたのは、自分はひょっとして老眼かもしれない、ということ。まあ今年で45歳、先月末から今月初めにかけて目の調子が悪く、久しぶりに眼鏡生活を余儀なくされていることもある。老眼という事実を突きつけられても、不思議に衝撃を受けなかった。むしろ、フジタの絵を観てその現実を知ったということに、なかなか洒落たできごとではないかと、喜んだくらい。
ひととおり展示を観終え、ミュージアムショップで気に入った絵の絵はがきを買う。買ったのは、ロートレック「サーカスの舞台裏」、アンリ・ルソー「イヴリー河岸」「牧場」、岡鹿之助「雪の発電所」「セーヌ河畔」の五点。「セーヌ河畔」のみ二枚購う。とっておきの相手へ出すときに使おう。ロートレック「サーカスの舞台裏」は、モノトーンでサーカス舞台裏のピエロや踊り子、馬が描かれた、哀愁のただよう名品。ロートレック佐伯祐三の絵を観ると、パリという都市がもつ哀しさを味わうことができて、もうそれでいいという気分になる。
長男が中学生になって、これまで以上の早起き生活を強いられることになった。今週からそんな生活が本格化した。おかげで朝から時間はたっぷりある。でも、月曜からそれを続けていたら、さすがに金曜には疲れがたまってくる。第一週からこんな感じでは先が思いやられるが、週末の金曜、こうして遅くまで開いている美術館で絵を観て、頭や体の疲れを洗い流すというのもいい手かもしれないと思う。京橋の近代美術館にも行ってみよう。幸いこちらはキャンパスメンバーズなので無料で入ることができる。