滑稽さの理由

「黒蜥蜴」(1962年、大映東京)
監督井上梅次/原作江戸川乱歩/劇化三島由紀夫/脚本新藤兼人京マチ子大木実川口浩/叶順子/三島雅夫/杉田康/北城寿太郎/久里千春/緋桜陽子

「フィルムセンターで映画を観るのは久しぶりだ」と書いたのは、石井輝男監督の「黄色い風土」を観た2008年8月のこと(→2008/8/31条)。このときは約1年ぶりだった。
たぶんそのあとまた京橋がよいが途絶え、現在に至るのではあるまいか。とすれば約3年ぶりである。3年! 3年も経過したのであれば、職場からフィルムセンターにたどりつくまでの町並みが大きく変貌していたのも無理はないか。
職場から仕事帰りにフィルムセンターに行くときは、地下鉄丸ノ内線で東京に出て、そこから東京駅地下の連絡通路経由で八重洲側まで行き、八重洲地下街を通って住友生命ビルあたりから地上に出、八重洲ブックセンターの前に来てから、適当に裏の横丁を歩いて中央通りに出(たいていは明治屋の脇をとおる)、京橋のフィルムセンターへという経路だった。
丸ノ内線からJR東京駅につながる地下通路のところにみどりの窓口ができたが、まあそこの景色が変わりはしても、歩く方向がわかるので迷わない。しかし八重洲地下街がだいぶ様変わりしていたので困った。大丸地下も改装中らしく、目と身体がおぼえていた地下街のルートがたどれなくなっていた。
ただそれでもいつもの通り(リーガルやニューヨーカーが並び、その先に居酒屋がある通り)に入り、地上に出ようとするところの目印だった八重洲古書館がなくなっていたので落胆した。
地上に出てからも、明治屋の建物はさすがに残っているが、その隣の広大な空き地にビルが建設中だし、中央通りと鍛冶橋通りの交差点のうち二角がおなじくビル工事中、アサヒペンのオブジェがあったひと角のビルも新しくなっていた。フィルムセンター手前にあったコンビニampmは閉店してファミリーマートになるらしく、これまた改装中。東京という都市はめまぐるしく変わっていくのだとわかってはいても、これだけ見知った風景がなくなっていくと、寂しさを禁じえない。
かよっていなかったあいだ、国立美術館全般に適用される「キャンパスメンバーズ」制度がフィルムセンターにも適用され、加入している大学の学生・教員は、身分証(学生証)を提示すれば観覧料が無料になるという恩恵を得られるようになった。いままでの500円でも安かったが、いまやタダで観られるのだ。シニアの方ですら300円を払っているのに、申し訳ない気持ち。
でもこれで、フィルムセンターで映画を観るのに、京橋に来るまでの電車賃(往復350円)ですんでしまうことがわかってしまったわけで、11月から12月にかけて開催される香川京子さんのレトロスペクティブにはいったい何度通うことになるのだろうと、空恐ろしくなるばかりである。
さて今回観たのは、井上梅次監督版の「黒蜥蜴」だ。黒蜥蜴こと緑川夫人に京マチ子明智小五郎大木実。大木さんが亡くなっての追悼上映になる。
それにしても、今回の「逝ける映画人を偲んで」特集の期間である2009年から2010年にかけては、多くの重要な映画人が亡くなっている。監督では松林宗恵松尾昭典西河克己、そして井上梅次美術監督では木村威夫中村公彦、村木与四郎。俳優では、小林桂樹池部良高峰秀子森繁久弥長岡輝子南田洋子北林谷栄中丸忠雄池内淳子大木実佐藤慶山城新伍藤田まこと、などなど。あまりに大きな損失だ。
「黒蜥蜴」は、もう一作、1968年に封切られた深作欣二監督版がある。丸山(美輪)明宏の黒蜥蜴に、木村功明智小五郎。乱歩作品によって読書の面白さを知り、三島由紀夫が戯曲化したということでこの作品にいっそう関心をもった人間としては、やはりこちらの深作版にまず強く惹かれていた。美輪さんの主演、そして三島本人も人形役で出演しているという異色作。こちらはまだ仙台にいた頃、戦災復興記念館という施設でなぜか上映会があり、観ることができた。約20年前頃だろうか。
「黒蜥蜴」の映画版には深作版のほかもうひとつあるということで、それも観たいものだと思っていたが、それがようやく叶ったことになる。
観てみると、いかにも三島戯曲らしい絢爛な台詞まわしが活かされ(そのまま映画になり)、ところどころ井上監督好み(?)のミュージカル仕立てになっており、深作版とはまた違ったこってり感のある映画であった。いまの感覚からいえば、失笑してしまうような演出もないわけではないが、映画というエンタテインメントだから、それはまあ許してしまおう。
帰宅後、『決定版三島由紀夫全集』第23巻*1に収められた戯曲を読み直してみる。すると、三島の戯曲原作にある台詞やストーリー展開、舞台装置(場の設定)がほぼそのまま映画になっていることに驚いてしまった。京マチ子大木実三島雅夫(とんでもなくハイテンション)の口から出てくる台詞が三島調なのは明らかだったけれど、ここまで戯曲どおりとは。あの長台詞、おぼえるのが大変だったのではないか。
興に乗って解題を読んでみて、また驚いた。原作が『婦人画報』に発表されたのは、1961年12月号の誌上だった。翌1962年3月、サンケイホールにて初演。黒蜥蜴が水谷八重子明智芥川比呂志という配役である。そして映画もほぼ同時、まさしく62年3月(14日―日本映画データベースによる)に封切られていた。映画もまた初演扱いと言うべきだろう。台詞が三島の原作どおりになっているのも、このような事情があるのかもしれない。脚本がいま話題の新藤兼人さんであることも面白い。
三島戯曲の舞台をまったく観たことがない者が言うのも憚られるが、あの絢爛たる三島戯曲の台詞は、おそらく舞台だからこそ映えるように思う。そのまま映画化すると、どうしても滑稽な感じがぬぐえない。京マチ子が踊ったりするといったミュージカル仕立てにしたのも、そんな滑稽な感じを逆手にとって、わざとリアリティを稀薄にさせるためなのではないかと勘ぐってしまう。そのまま映画でやってしまうと、あの戯曲は“恥ずかしい”のである。
京マチ子の緑川夫人=黒蜥蜴ははまり役だ。大木実明智も、わざとらしさと、ちょっと抜けた感じが意外に合う(たんにシリアスで鋭いだけではないという意味)。誘拐される早苗役の叶順子もかわいい。黒蜥蜴の手下役に甘んじた川口浩だけ、大映のスターであるはずの彼がこんな役どころでいいのか、とちょっと気の毒だった。
俳優陣は、深作版とくらべてもひけをとらないのだが、滑稽感をぬぐえないのは、60年代という時代のなかで観ればさほどの違和感がなかったかもしれない作品を、50年後に観たからなのだろうか。すべてを時代のせいにしてしまうのはよくないことではあるが。