源氏鶏太作品の社会性

英語屋さん・初恋物語

かねがね源氏鶏太がデビューしてから直木賞を受賞するまでの初期作品を読みたいと思っていたが、ようやくそれがかなった。角川文庫版の『英語屋さん・初恋物語である。年末年始実家に帰ったとき、地元山形市内のブックオフで手に入れた。
本書は表題作(2篇)に加え、「台風さん」「御苦労さん」「ホープさん」「随行さん」「お妾さん」「木石に非ず」「たばこ娘」の計9篇が収められた短篇集である(解説十返肇)。カバー後ろ折り返しにある角川文庫源氏鶏太作品のラインナップ(1979年当時、28点)に本書が見えないので、初期作品集がわりあいあとになって文庫化されたのかと思いきや、最初のほうに『初恋物語』とだけあるものがそれに該当するらしいことに気づいた。あとから書名に「英語屋さん」も加えられたのだろうか。
「英語屋さん」は、同じく本書収録の「台風さん」「御苦労さん」と併せ、源氏の直木賞受賞作である。やはりそれを前面に出さねばならないだろうし、個人的にも「英語屋さん」というタイトルが好きである。
これら源氏の初期作品を読みたくなったのは、ほかでもない大村彦次郎さんの『文壇栄華物語』*1筑摩書房)のおかげである。同書には源氏が文壇デビューしてから直木賞を受賞するまでの経緯が活き活きと描かれている。
それによれば、選考委員中とくに彼の作品を強く推したのが大佛次郎井伏鱒二で、わずか一時間ほどの審議で満場一致で決定されたという。源氏は過去二度候補にあがっており、そのときの候補作は「随行さん」と「木石に非ず」だという。源氏の実質的な文壇デビュー作が「たばこ娘」だから、本文庫版には初期の佳作が網羅されていると言えよう。うれしい収穫だった。
またまた大村さんの本によれば、源氏は受賞作「英語屋さん」は「この一作で直木賞を獲得しようと、これまで手許に温存していた切札的な作品」であり、本当は直木賞受賞第一作として用意していたものだという。
「英語の実力にかけては抜群な主人公が、正規の学歴がないのと性格が狷介なために、いつまでも嘱託の身分におかれている屈辱を描いたサラリーマン哀話」(同書220頁)と紹介されていれば、読みたくならないはずがない。
物語は、このいかにも屈託が積み重なったような嘱託社員茂木さんを、会社に入ってまもない風間京太という若手社員の目から眺めたものとなっている。風間京太という人物名は本書に収められているいくつかの短篇に登場しているが、とくに連作を意識したものではないようだ。
これを読んでいると、「英語屋さん」たる茂木さんの狷介さ、さまざまな感情を鬱積させた人となりが映像として浮かんできた。わたしの脳裏には名脇役三井弘次の姿がそこに重なっていたのである。
ことほどさように、これら初期源氏作品は映像的だ。読みながら、その場面が映像として浮かぶのである。むろん、すでに「ホープさん」を原作とした映画「ホープさん サラリーマン虎の巻」を観ていたということもある(→2007/4/22条)。小説を読んでみるとこの映画は、たんに「ホープさん」だけでなく、本書収録の「随行さん」のエピソードも交えられていることを知った。入社早々一張羅の背広を盗まれてしまい、やむなく初日野球のユニフォームで出勤するホープさんこと万年太郎のおかしさ。これはもはや小林桂樹さんのイメージ以外考えられない。
文壇デビュー作「たばこ娘」は、本書では逆に一番最後に収められているが、これがまたペーソスに満ちたいい話なのだ。何をおいても煙草が一番好きという愛煙家の主人公と、彼に闇煙草を売る娘の物語。大村さんの言うように「むしろ煙草に托して語る作者のライト・エッセイ」(前掲書152頁)に妙味があるのだが、敗戦直後という世相のなか煙草を求める愛煙家たちの姿に物語を見いだす、そのことだけで源氏鶏太作品に「社会性」があったと言っていいのだろう。
筋は勧善懲悪的で、ファンタジックなおもむきを呈しているけれど、すでにこの当時において、出世階段から外れた人びとにまなざしをむけたり、これから出世競争に乗り出そうとする若手サラリーマンの姿を描くだけで、源氏には社会的視点が備わっていたと言うべきである。