人生の忘れもの

鉄塔家族 上 (朝日文庫 さ 32-2)鉄塔家族 下 (朝日文庫 さ 32-3)沢木耕太郎さんに『世界は「使われなかった人生」であふれてる』という映画エッセイ集があったが(→2007/5/1条)、佐伯一麦さんの長篇小説『鉄塔家族』*1・下*2朝日文庫)を読んで、タイトル中にある「使われなかった人生」という言葉を思い出した。
佐伯一麦さんは宮城県生まれで仙台在住。以前連作小説『川筋物語』*3を読んだことがある(→2005/4/22条)。現代でも稀な私小説作家として、いや私小説作家ゆえに、自らが生まれ育ち、現に住んでいる土地を舞台とする小説を書いている。
『鉄塔家族』の「鉄塔」が、仙台の町のランドマークとも言うべき八木山のテレビ塔を指すことを知ったのは、本書を論じた一篇が収められている川本三郎さんの『言葉のなかに風景が立ち上がる』*4(新潮社、→2006/12/31条)によってである。森英二郎さんによる本書のカバー装画がまさにその鉄塔群を描いたものだった。
正月休みを終え、東京に戻ってから読み出し、数日前に読み終えていたから、上下巻の長い小説にしては早く読みとおしたとわれながら驚く。ひとえに物語の魅力のおかげだ。
作者佐伯さんを思わせる斎木と、再婚相手の染色家奈穂の夫婦二人を中心に、彼らを取り巻く友人たち、近所の人たち、あるいはまったく関係ない(ように見える)人たちの暮らしが、斎木夫婦の住む「山」に建設されようとしている新しい電波塔の着工から工事終了までの時間のなかにゆったりと細やかに描かれる。
好みとしてはこのような風景描写に力点を置いた小説は退屈で読む気がしないのだけれど、この作品に限っては、むしろ後半になって動きを見せる斎木の別れた妻や息子との関わりといった人間関係より、前半の風景描写のなかに静かな人間生活を描く部分が好ましく、ずっとその部分が続いても飽きないかもしれない。
これは舞台が、わたしも十数年住んだ仙台という町であることにもよるだろう。とりわけ斎木夫婦の住んだあたりは、わたしも親元を離れて一人暮らしをはじめた最初の二年間住んでいた場所に近く、懐かしさがこみ上げてくる。とはいえこの作品のなかでは、地名に関する固有名詞は丁寧にことごとく取り去られているから、仙台を知らない人が読めばどういう感想を持つのだろうと、逆に不思議に思う。
それほどにこの小説は懐かしさを呼び起こす。奈穂は染色家として草木染めに従事していることもあり、「山」に自生する草木に対する造詣が深い。また「山」には多くの野鳥が棲みつき、斎木らに季節感をプレゼントする。身の回りにある、ふだんの生活では見逃してしまうような植物への目、そして聞き逃してしまうような鳥の鳴き声をとらえる耳。
五感をフル活用したような斎木夫婦やまわりの人びとの生活に接すると、いったいわたしは仙台に住んでいたとき何を感じていたのだろうかと、仙台に忘れ物でもしたような後悔の念にとらわれてしまった。
あのようにほどよい都会と自然が渾然とした町はほかにない。そういう都市に住んでいながら、都会生活の面のみを楽しみ、自然生活を欠如させてしまった。もったいない。これは間違いなく大きな忘れ物であり、いつか取り戻しに帰りたいという気持ちがふつふつと沸き起こってくる。
斎木夫婦はペルセウス座流星群がよく観られるとされたある夏の日の夜、住まい近くの川べりにある自動車教習所(わたしが自動車免許を取った教習所である)の練習コース道路に寝そべって星空を眺める。

寝そべって空を仰いでいると、目が慣れてくるにつれて、果たして、次第に多くの星が浮かび上がって見えてきた。北の空に北斗七星をまず見付けた。それから、ひしゃくの部分を延長させて、と小学生の頃習ったのを思い出して、北極星の黄色い輝きを見付けた。次は、北極星を挟んで、北斗七星と対する位置にWの形に連なって光るカシオペア座。(下巻89頁)
こんな一齣に、仙台生活を思い出す。このときと同じでないだろうが、やはり夏と記憶しているからペルセウス座流星群なのだろう、あの年も大接近が報じられ、わたしと妻(すでに結婚していたかどうか、記憶は曖昧)は、車を駆って仙台の町の北にある泉ヶ岳という山にあるスキー場へ急いだ。
夏なのでスキー場は当然営業していないが、その駐車場にはすでに流星群を観ようという人びとが多く詰めかけており、驚いたものだった。山の上なので夏の夜の暑さも冷気を帯び、車を降りて駐車場の地べたに座り込んで空を見上げるやいなや、思わず息を呑んだ。空にはこんなに星が瞬いているのか。町中で観ている星、子どもの時田舎の暗がりで観た星はほんの一部に過ぎなかったのか。
あのときほど空一面に密集するかのように瞬く星たちを観たことはない。仙台の思い出というと、決まってこの星空が一番に思い浮かぶ。これなどは、かろうじて忘れ物となることをまぬがれた体験だったと言えよう。この思い出の星空のバックでは、いつもユーミンの「ジャコビニ彗星の日」が流れる。大好きな歌の一つ。
わたしにとって、こんな「使われなかった人生」「あり得たかもしれない過去」が仙台に置き去りにされている。『鉄塔家族』はそんなあれこれを思い出させてくれる傑作だった。