種明かしは最後でお願いします

黄金街道

安野光雅さんの画文集『黄金街道』*1講談社文庫)を読み終えた。本書は上野から麻布まで36ヶ所のポイントを安野作品らしい水彩画で描き、そこにその場所場所に関する自らの思い出などの短い文章を添えた内容である。
取り上げられているのは次の36ヶ所。章タイトルを抜き出せば、上野駅付近、江戸の長屋、アメ屋横丁、湯島の白梅、万世橋ニコライ堂、須田町交差点、神田駅付近、今川橋、室町、三越前日本橋白木屋丸善高島屋八重洲口、京橋、銀座四丁目、数寄屋橋汐留駅、新橋駅、内幸町、土橋、外堀通り新し橋、新橋四丁目、西新橋一丁目、愛宕山、西久保巴町、増上寺門前、オランダ大使館、飯倉交差点、飯倉片町、永坂、麻布十番、一本松、下谷の山崎町、絶江坂
上野から湯島を経て神田に出、万世橋神田川を渡り、日本橋から銀座を経て新橋に至る。新橋から芝へ南下し、増上寺から東に折れて飯倉を経て麻布へと至る道筋。このルートでピンと来た方はかなりの〈通〉だ。
本書帯に「不思議な道順の種明しは読んでからのお楽しみ」とあり、カバー裏の紹介文には「ただごとではないルートの謎ときは、さいごのページを読むまでのおたのしみ!!」と、安野さんのスケッチを別にして、本書の売りのひとつに、安野さんがスケッチ歩きをした上記東京の道筋にあることを示唆している。
であるのに、いきなり最初から種明しをしてしまっているはどういうことか。36ヶ所のスケッチ紀行の前に、古今亭志ん生の「黄金餅」の口述筆記が掲載されているのである。下谷に住むケチな乞食坊主が、病気の見舞いに買ってきてもらったあんこ餅に二分金と一分銀をくるみ呑み込もうとして、喉に詰まらせ死んでしまう。その様子を覗い見ていた隣の金山寺味噌売りの金兵衛は、遺体のお腹に残っているはずの金目当てに遺体を下谷の長屋から自分の菩提寺のある麻布絶江坂の寺に運び、荼毘に付して遺骨から金銀を取りだし、これを元手に目黒で餅屋を開いて繁昌した…という噺である。けっこう残酷な噺だ。
もうおわかりのように、上のルートは、「黄金餅」のなかで金兵衛さんが乞食坊主の遺体を麻布の寺まで運んでいったときのものである。本書で口述筆記が採られているように、志ん生の噺が有名らしい。佐藤光房『合本 東京落語地図』*2朝日文庫)や矢野誠一『落語讀本―精選三百三席』*3(文春文庫)においても、志ん生による口演の絶品なることが特記されている。

下谷の山崎町を出まして、あれから上野の山下へ出て、三枚橋から上野広小路へ出まして、御成街道から五軒町へ出て、そのころ堀様と鳥居様のお屋敷の前をまッすぐに、筋違御門から大通りへ出まして、神田の須田町へ出まして、新石町から鍛冶町へ出まして、今川橋から本白銀町へ出まして、石町から本町へ出まして室町から日本橋を渡りまして、通四丁目から中橋へ出まして、南伝馬町から京橋を渡ってまッすぐに、新橋を右に切れまして、土橋から久保町へ出まして、新し橋の通りをまッすぐに、愛宕下へ出て天徳寺を抜けて、飯倉六丁目から坂をあがって飯倉片町、おかめ団子という団子屋の前をまッすぐに、麻布の永坂をおりまして、十番へ出まして、大黒坂をあがって、一本松から麻布絶口坂釜無村の木蓮寺にきたときには、ずいぶんみんなくたびれた……あたしもくたびれた。
最後の「あたしもくたびれた」というあたりが良いのだという。威張るつもりはないが“書斎の落語好き”のわたしは、志ん生の「黄金餅」を聴いたことはない。ただ、「銀座カンカン娘」のなかで演じられる志ん生の「替り目」の口調から類推すれば、きっと聴いていてくすっと笑えるのだろうなと想像するだけである。
もともと絵と文章は講談社のPR誌『本』に連載されたものだという。連載中は「黄金餅」のことにひと言も触れず、ただ上野から麻布まで、東京を歩きながらスケッチした連載であり、ルートは安野さんの気の向くままと受け止めた人も多いのだろう。最後の回「絶江坂」で唐突に「黄金餅」の噺が語り出され、それと知るのである。
帯やカバー裏で、ルートの謎解きの楽しみによって読者を誘い込むのであれば、本をめくっていきなり「黄金餅」では倒叙ミステリにもならず、ちょっと残念だ。
と構成の難を論っただけで、肝心の絵と文章に触れていないことに気づいた。「室町」での、クラシックな小西六(コニカ)の本社屋(現存せず?)や、「日本橋」での日本橋たもとにある(あった)帝国製麻の赤煉瓦建物が描かれているあたり、貴重だろうか。