三遊亭円朝の世界まであと半歩

円朝ざんまい

森まゆみさんの新著円朝ざんまい―よみがえる江戸・明治のことば』*1平凡社)を読み終えた。
本書は「何でも歩かなければ、実地は踏めませぬ」という三遊亭円朝の言葉を肝に銘じた森さんが、円朝の愛した門人ぽん太になぞらえて名付けた相棒ぽん太(山本明子さん)を伴い、円朝作品ゆかりの土地を歩く作品紀行である。
円朝墓所のある森さんのお膝元谷中全生庵を出発点に、「怪談牡丹燈籠」「七福神」の谷中・根津、「指物師名人長二」の本所・両国、「文七元結」の浅草・吉原、「怪談乳房榎」の高田馬場・落合・新宿といった江戸市中やその周辺から、「熱海土産温泉利書」の熱海、「怪談牡丹燈籠」の栗橋・宇都宮、「鰍沢」の甲斐身延、「霧陰伊香保湯煙」「塩原多助一代記」の上州まで、円朝作品に登場する土地をみずからの足で歩きとおし、歩き疲れればぽん太と一緒にざっかけない飲み屋を探して地酒で一杯。温泉があればそこにつかって旅の疲れを癒す。
奥付上の著者紹介の文章に、「趣味は「人の話を聞くこと」」とあったのを見て思わず顔がほころんだ。『谷根千』を魅力ある雑誌にしたのは、森さんをはじめとする皆さんの地元の人びとへのフィールドワーク、聞き書にあるからで、この手法は森さんのすべての本に活かされており、むろん本書も例外ではないからだ。
円朝の噺には落語らしく登場人物の身なりが事細かに描写されているばかりか、舞台になる土地の来歴も決しておろそかにされない。森さんたちが噺に登場する土地土地をめぐってゆけば、円朝の噺が、いかに自分の足を使って見聞した事実にきちんと裏打ちされているのかがわかってくる。「何でも歩かなければ、実地は踏めませぬ」という教訓が、読む者に対して二重に迫ってくるのであった。
土地土地の背景だけでなく、円朝を読めば語られた時代の様子も彷彿とされる。江戸の末から明治の初めまで、円朝の噺にはそのときどきの風俗が批評精神というフィルターを通して描き込まれる。落語は言葉の芸ゆえに、言葉だけで聴く者にヴィジュアルな像を伝えなければならない。だからそれを文字に記録したテキストはかっこうの風俗資料となる。円朝作品はその代表的なものだ。
本書を書くきっかけとなったのは、筑摩書房から出たシリーズ『明治の文学』で円朝の巻の解説執筆を任されたことだという。もとより中学生の頃から円朝作品に親しんでいたという森さんだから、その『明治の文学』とともに、肩肘張らない円朝紀行の本書は、わたしたちを三遊亭円朝の世界にいざなってくれる。
それにしても、森さんの引用する円朝の噺は何と愉しく、近づきやすく思えるのだろう。わたしはその『明治の文学』の円朝集をはじめ、岩波文庫に入っている『怪談牡丹燈籠』『真景累ヶ淵』『塩原多助一代記』をひととおり持ってはいるが、近づきがたく読んでいなかった。
今回も森さんの本を読み、心動いて目のつくところにある『塩原多助一代記』*2を手にとってめくってみたけれど、会話が段落がえなしに追い込みでびっしり組まれた版面を見るだけで、読書欲が減退してゆくのを感ぜざるをえなかった。たぶん読めば惹き込まれるに違いないのだろうが、一歩踏み込むまでの力がまだない。
正直一歩とまではいかないが、この森さんの本によって半歩くらいは円朝の世界に近づいたような気がする。