第67 「歴史の証人」たらんとして

古田対佐々木

昨夜仕事で渋谷方面に出かけるにあたり、ひらめいたことがあった。仕事が終わったらその足で神宮球場にかけつけ、古田の2000本安打を観てこよう、と。これを思いついたときから心躍っていたのだったが、あいにくの雨模様。午後早々に試合中止が決まってがっかりだった。
古田の2000本安打を観たい、野球を観たいという気持ちが宙づりになったまま片づかないので、あらためて今日、仕事が終わったら神宮に行こうと朝から決めたのだった。幸い今日は天気もいい。絶好の野球観戦日和で、仕事をするにも会議に出るにも、夜のことを考えれば耐えられるのであった。むろん、2000本安打が達成されない可能性だって大きいのだが、「野球を観ること」、それだけでも構わないのである。
御茶ノ水まで歩き、総武線信濃町へ出る。改札を出ると、わたしと同じく野球観戦をしようとやってきた人びとで騒々しい雰囲気になっている。薄いグリーンのビニール傘を持った人もちらほら。ヤクルト戦を観に来たのだという気分が否が応でも高まる。
駅を出て、外苑に向かうために渡らなければならない歩道橋の階段を一段一段のぼるたび、自分の気持ちも高揚してくるのがわかる。あの歩道橋は俗界と聖なるベースボール・パーク(サッカーのときは違うだろうが)を橋渡しする境界なのだ。
東京に来たばかりの頃、デスクワーク主体の静かな仕事ゆえに体を動かしたくてたまらず、また、自分が東京という都市にいるのだという存在証明欲しさに、仕事帰り時々神宮外苑に立ち寄ったものだった。ある日はバッティングセンターで汗を流し、ある日は球場でプロ野球を観る。30を少し越したいい年齢になっていたものの、稚気満々だった。
神宮球場プロ野球を観るのは久しぶりだ。この間東京六大学野球を観に何度か訪れたことはあるが、ナイター観戦は何年ぶりだろう。今日のカードはヤクルトスワローズ横浜ベイスターズ。巨人ファンのわたしだが、スワローズも、ベイスターズも嫌いではない(そんなことを言ったら、タイガースだってドラゴンズだって、カープだって、嫌いじゃない)。
さすがに古田2000本カウントダウンということで、同じことを考える野球ファン(ヤクルトファン)が多いからか、ライト側外野自由席は立見になるほど人が埋まっている。だからあえてレフト側、ベイスターズ応援団の近くに席を見つけ、観戦することにした。
ナイターの雰囲気がたまらなくいい。昼間は暖かかったのに、夜が更けるにつれ寒さをまし、最後のほうはぶるぶる震えながらの観戦だったけれど、それでもナイターには付きもののビールをあおり、野球に集中する。
試合はスワローズは藤井、ベイスターズはセドリックの先発。両先発投手がなかなかいい出来で、四球も少なく、テンポ良く試合が進み、投手戦の様相を呈した。結果的に古田は4タコ(4打数ノーヒット)に終わり、本拠地での2000本安打達成はならなかったけれども、セドリックが7回被安打2、1失点(ホームラン)という好投だったのだから、仕方がない。
藤井もヒットを打たれながらよく踏ん張った。出れば負けないような凄味があった時期のあと、故障のため姿を消し、最近彼はどうなったのかなあと思っていたところだったので、彼のピッチングを直接観ることができて嬉しい。フォームが元広島の大野に似ている。
9回表を終え2対1でベイスターズがリード。1対1の同点からベイスターズが勝ち越したときの応援団の喜びの渦中にいて、わたしも一気に気分が頂点に達した。選手の一挙手一投足に反応し、一点を獲ると興奮して喜びあうファンがいる。
日本のプロ野球ファンの集団的な応援の仕方には、アメリカの野球観戦のあり方とくらべて何かと批判されがちだが、たとえ自分がそのチームのファンでなくても、その集団のなかで一緒に喜びを分かち合う、そんな瞬間が何よりも楽しい。
さて9回裏。中継ぎの左腕ホルツが先頭打者岩村を抑え1アウトとなり、満を持して大魔神佐々木が投入された。まわりのファンも大喜び。ところがいきなりラミレスにホームランを浴びて同点になってしまう。次の古田は打ちとられ2アウト。そこから不運なヒットと四球で1・2塁となり、最後は土橋が巧くボールをバットに乗せ、内野の後にポトンと落とし、見事なサヨナラ勝ちで幕を閉じた。
怒り心頭に発したベイスターズファンが多かった。佐々木に怒号を浴びせかける。最近の佐々木は打たれてばかりだ。あの再婚騒動は、相手が相手だけにわたしも感心しなかったけれども、わたしは彼と(清原も)同学年なのだ。だから、頑張ってほしい、応援したいという気持ちを捨てることはできない。
今夜の逆転サヨナラ劇は、真っ向から打ち込まれたわけでなく、不運な面もないわけではなかったが、古田の2000本安打という「歴史の証人」になりそこねたかわりに、「佐々木の引退」という、別の「歴史の証人」になったかもしれない、家路につきながら、そんな思いが頭をかすめた。
【追記】
上の文章を書いたあと、土橋のサヨナラ打を「すぽると」で確かめると、フォークの落ちぎわにうまくバットを当てている。このフォークに合わされたということは、ある意味「不運」などではなく、やはり限界なのかもしれない。
すぽると」では、重松清さんがゲスト出演され、野球を生で観戦する楽しみを語られていた。昨日神宮や東京ドームに足を運んだ人は「歴史的瞬間」に立ち会いたくてそうしたのだ、そういう気持ちが大切だと、肯定的にお話しされているのを見て、何だか嬉しかった。