正しい団塊の世代マニュアル

正しい団塊の世代白書

二子山親方(初代貴乃花)の死は痛恨事だった。ショックだった*1。小学校に入学したあたりにはすでに相撲ファンで、親方の追悼報道でよく流された北の湖との優勝決定戦が昭和50年だから、記憶こそないもののたぶんテレビで見ていたのではなかったか。北の湖と輪島が東西横綱の地位にいて、相譲らぬ北輪時代をかたちづくっていた。
わたしは小学生時代は前から数えたほうが早いくらいに小柄で、「小兵力士」「技巧派力士」になることを夢見ていたほど。巨漢の同級生と相撲をとり、栃赤城ばりの多彩な技、貴乃花ばりの土俵際の粘り、増位山ばりの内掛けで倒すことを快感にした。でも、大の贔屓はなぜか「猫だまし」の三重の海(現武蔵川親方)だった。
親方の二人の息子、若乃花貴乃花の相撲も嫌いではなかったし、全盛期の二子山部屋を支えた貴ノ浪、安芸の島、貴闘力らも好きだった。でもやっぱり一番好きなのは、相撲がもっとも好きだった頃に活躍していた親方、初代貴乃花なのである。
直接見たわけではなく、大相撲のグラフ雑誌などを見てあとで知ったのが、あの「かばい手」「突き手」で問題になった北の富士との一番。プロレスのスープレックスばりに貴乃花が土俵中央で弓ぞりになり、北の富士の手が土俵に突いた瞬間の写真のなんと印象的なことか。
今回はからずもその一番のビデオを見ることができたわけだが、(座布団が乱れ飛んだ)対北の湖戦にせよ、(水入りの大一番)対輪島戦にせよ、何度見ても興奮するし、その都度相撲に熱い思いを抱いていた子どもの頃を思い出してしまう。
親方が亡くなったあと、喪主が長男の若乃花(あえてこう呼びたい)になったという話を聞いたとき、こういうストーリーが頭をよぎった。部屋を継いでいるのは貴乃花なのだから、やはり筋として貴乃花が喪主をやるべきところ、さすが弟、兄を立て、兄に「喪主をやってください」と頼んだのだな、偉い! こうあるべきだよ。
…ところが蓋を開けてみると、ドロドロの確執劇。もううんざりだ。上のようなストーリーを勝手に組み立て、一瞬といえども兄弟万歳と喜んだわたしの、何とお人好しなことよと、苦笑せざるをえなかった。性善説もここまでくるとたんなる世間知らずの大ボケ野郎である。自分が情けない。
ところで亡くなった二子山親方には、「団塊の世代のヒーロー」的な報道がされていたように記憶する。親方は1950年2月生まれ。『広辞苑』第四版では、団塊の世代は1947〜49年に生まれた人たちと規定されている。もっとも親方は早生まれだから、ギリギリ団塊の世代に属すると言うべきなのだろうか。
高田文夫さんは団塊の世代のまさにまっただなか、1948年の生まれだ。先日入手した『正しい団塊の世代白書』*2講談社文庫)を読んだが、彼ら団塊の世代が過ごした少年・青年時代、昭和30〜40年代初頭あたりまでの芸能・スポーツの話題が盛りだくさんの、とても楽しい本だった。
とにかく記憶を総動員してジャンルごとに熱中した人、モノ、番組などを並べまくる。全20章のジャンルは次のようなものである。
噺家篇(以下「篇」を省略)、プロ野球、歌謡曲、プロレス、オリンピック、大相撲、CM、祝儀・不祝儀、私生活、漫画、日本映画、ポップス、ラジオ、コメディアン、洋画、雑誌、昭和三十三年、アメリカ産TV、昭和二十三年、GS・フォーク。
たとえば噺家では、柳家金語楼三遊亭小金馬古今亭志ん朝林家三平三遊亭歌奴立川談志月の家円鏡がたてつづけに登場する。プロ野球では、昭和33年にデビューした長嶋や、広岡、王、杉浦、バッキー、尾崎、張本などなど。ジョークを交えながら子どもの頃の思い出を彼らヒーローを通して熱く語るのだから、夢中になって読んでしまう。
いろんな章のなかで、くりかえし「もっとも好きだった(面白かった)コメディアン」として、八波むと志があげられており、とても気になった。「ちなみに八波むと志氏のテレビのヴィデオは一本もありません。映画の中には何十本も脱線トリオとして出ていますが、本来の面白さはテレビの中のコントにしかありません。映画で見て八波氏をつまらないと思わないように……」(140頁)と言われると、気にならないわけがない。同じようなことを別の人も言っていたように記憶するけど、小林信彦さんだったろうか。
各章に添えられているイラストは高橋春男さんによるもので、このイラストも、まるで夕刊フジ連載エッセイの山藤章二さんによる挿絵のように、文章に呼応した「イラスト・エッセイ」となっていて見ごたえがある。
第19章「昭和二十三年篇」に、同じ1948年生まれの人がたくさん紹介されている。つかこうへい、糸井重里ねじめ正一。そうか、糸井さんねじめさんが熱狂的巨人ファンなのはやっぱり長嶋デビューがきっかけなのだなとわかる。
その前の年にビートたけし景山民夫、翌年に森田芳光といった人びともいて、団塊の世代の華やかさが喧伝されているが、実は高田さん自身は、団塊の世代とひとくくりにして最大公約数で語ってしまうことに批判的らしい。

今の時代だってみんな「イカ天」をやっている訳ではなく、中にゃ今頃、尺八でも練習している若者がいるかもしれない。我々の時代だって全員が全員反戦フォークを歌っていた訳じゃないのだから、それはそれでいいのである。色んな奴がいていいのだ。あの時代はあれ一色だったなどと決めつけると時代を見間違えてしまう。団塊の世代はみんな全共闘くずれという訳ではないのです。そのさなかに小唄をうなってた道楽者が居たというのが文化なのです。(198頁)
その「色んな奴」の一人として、子どもの頃のアイテムを次々と文章に再現する。「文庫の為のあとがき」には、「その時その時を誰かがキチンと記録し、時代の空気とにおいみたいなものを次の世代に伝えなければ、〝大衆文化〟というものはなかなか理解できない」と主張されている。そのとおり本書は、昭和30〜40年代の「時代の空気とにおい」が伝わってくる本なのである。
最後に、高田さんによる大相撲へのオマージュ。
しかしどうして少年時代、あれほどまでに大相撲に夢中になったのだろう。他に娯楽がなかったのか? 日本中がみんな相撲通だった。ちょっとした空地があれば男の子は相撲をとっていた。(…)日本中が大相撲のファンだった。栃錦若乃花が毎日気になった。この節、小錦が気になるなんて奴の話などきいたことがない。番付を集めている小学生なんか見たことない。(66頁)
こんな雰囲気は、私が子どもだった昭和40年代後半から50年代前半にかけてもまだ存在したように思う。実際私は、集めこそしないものの、小学校の仲間たちと共同で番付を日本相撲協会から購入したことがあるのだから。
こういう熱気は千代の富士の引退がきっかけでなくなったように思うのだが、どうだろう。たしかにその後の大相撲の人気は、「若貴ブーム」のおかげで好調を保っていたが、どうもかつての熱気とは質が違うような気がしてならない。

*1:インタビューで登場していた東関親方(高見山)や大島親方旭国)がずいぶん老けてしまったのを見て、ショックが倍増した。

*2:ISBN:4061855085