北陸に消えた男

ゼロの焦点

『点と線』などと並ぶ松本清張の代表作ゼロの焦点*1新潮文庫)を読み終えた。
広告代理店に勤務し金沢の支社に単身赴任中の男と見合い結婚した26歳の女性が主人公。有能な夫は、結婚を機に東京の本社に戻ることになった。しかし式と新婚旅行を終えたあと、引き継ぎのため後任者と二人で金沢に発ったまま消息を絶つ。
新婚旅行のおり、何気ない言動に夫の過去に対するかすかな疑問を抱いていた新妻は、単身金沢へ入って失踪した夫のたどった足跡を追跡しようとする。そこで巻き起こる殺人事件。やはりこの作品も他の清張作品同様一気に惹きつけられ、読まされた。
北陸で原因不明の失踪といえば、北朝鮮による拉致問題が頭に浮かぶ。この小説のなかに、こんな一節がある。

禎子(=主人公、引用者注)は新聞で今までたびたび読んでいるふしぎな失踪事件を考えた。ある若い学者は、大学に出勤する途中で消えてしまった。ある会社員は散歩に行くといって出たまま消息を絶った。ある少年は外で遊んでいる途中で見えなくなった。家人は、いずれも原因に心あたりがないという。全国にはこんな例が少なくないと、ある週刊誌の記事を読んだことがあった。(79頁)
阿刀田高さん風に「清張工房」での創作過程を推理すれば、松本清張はある日週刊誌でこうした謎の失踪事件の記事を目にし、それを一つのヒントにして本作品をつくりあげたのではあるまいか。
むろん昨今の拉致問題と着想の源となった事件を単純に結びつけるつもりはない。そもそも『ゼロの焦点』が刊行されたのは1959年(昭和34)のこと。現在認定されている最も古い拉致被害者は、1963年石川県沿岸で拉致されたとされる寺越さん一家(以前このうちの一人寺越武志さんが一時来日したことは記憶に新しい)であり、『ゼロの焦点』はすでに発表されていたのである。
これまで本作品に興味を持ちつつ近づかなかったのは、馴染みのない石川県地域を舞台にしたものだったからだ。しかしそんなことを言っていたら、いつまでたっても名作を読むことができなかっただろう。逆に、これを読んで北陸地方(金沢、能登)への旅情を誘われたのである。
映画「ゼロの焦点」は実際に能登外浦の断崖能登金剛でロケされた。このことは川本三郎さんの『日本映画を歩く―ロケ地を訪ねて』*2JTB出版)中の一章「「ゼロの焦点」の能登金剛から「続・禁男の砂」の舳倉島へ」に詳しい。やはり川本さんも「ゼロの焦点」に旅情を誘われた口なのである。