コミさんの散歩術

ぼくのシネマ・グラフィティ

最近あまりこれといった収穫がなかったので、そのときもさほど期待せずに入った北千住のブックオフ。文庫の「た」のコーナーで田中小実昌『ぼくのシネマ・グラフィティ』*1新潮文庫)を見つけた瞬間、とっさに抜きとり、中味を確認せずに購入を決めた。コミさんの文庫本とは珍しい、そもそも本書の存在を私はまったく知らなかったからである。
買ってから中味をあらためてみると、面白そう、当たりらしいということがわかり、思わぬ収穫に気分が高揚した。たかが文庫本一冊でこういう気分になれるのだから幸せである。こうなるといま読んでいる本を途中にしたままでも読みたくなってくる。たまらず読み始めると期待に違わぬ面白さで、読み終えたいまでも本書を脇に置いてなでさすっている。
私は田中小実昌さんに対しては映画好き、バス好き、散歩好きという最低限の知識だけしかなかったけれど、本書はまさにそのコミさんの嗜好が全開の本であった。長部日出雄さんの解説によれば『小説新潮』連載とのことで、基本的に映画鑑賞エッセイなのだが、たんに映画鑑賞の枠組みに縛られず、気の向くまま足の向くまま自由に綴られた内容で、こういうエッセイが私は大好きである。
映画エッセイでありながら、ときには映画の感想がほとんどおまけのような付属物に成り下がるほど、映画以外の記述が多くを占めることがある。朝起きて自宅でのこと、映画館(とそれがある町)にたどり着くまでの電車・バス料金、買った弁当などなど、映画以外の「散歩エッセイ」的要素がとても面白い。映画も、洋の東西や旧作も封切りも問わずあらゆる種類の映画を見る。とりあえずバスに乗ってある町に来ると映画館を探して入ってみるのである。この連載は1980年前後のものらしいが、当時堀切菖蒲園にも映画館があったのだ(「菖蒲園はどこだ」)。
本書連載中にもコミさんはアテネ、ハワイ、シドニー、サンフランシスコ、サンディエゴ、ベルリン、パリ、ダブリンなど、世界の各都市へと旅する。旅してもスタイルは日本にいるときと変わらない。

ベルリンからパリにきた。パリでも、昼間はバスにのり、映画を見て、夜は酒を飲んでいる。(215頁)
というものだ。もちろん英語ができるという基礎があるのだけれど、日本でも海外でもマイペースを貫くことができる人は強い。
そんなのんびりした雰囲気の楽しいエッセイだと思って読んでいると突然次のような哲学的叙述と出会ってびっくりする。
もうこうなると、この映画のどこがいいなんてことは言えない。活きて動いて、さまざまに変化し、生成していくものを、断面できり、また、外に視点を立てて、不動のものとして見たって、しようがない。こちらも、そのうごきのなかにはいり、直観するよりほかはない。(35頁)
まるで吉田健一みたいで、本人も「なんだかベルグソン風の言い方」と韜晦しているが、論じられる対象がにっかつろまんポルノ神代辰巳監督の「赫い髪の女」なのだから本書の、そしてコミさんのすごさがわかろうというものだ。