70年代的サブカルチャーの一齣

「面白半分」の作家たち

最近「名」編集者もしくは「名物」編集者の本(彼ら自身が書いたものおよび彼らのことについて書かれたもの)が多く出版されているように思われる。この現象はどう理解すればいいのだろうか。
現役編集者たちが立てた企画だろうから、彼らは先輩たちの足跡が本になれば売れると判断しているわけだ。実際読むと面白いから、その判断は間違っていない。出版業界が曲がり角に直面している現在、今後ますます少なくなってゆくであろう伝説的編集者の像を後世に残しておきたい、そんな強烈な自己保存的本能を感じる。
先日刊行された佐藤嘉尚『「面白半分」の作家たち―70年代元祖サブカル雑誌の日々』*1集英社新書)も上記のような流れに位置づけることができる。
『面白半分』は本書の著者佐藤嘉尚さんを社長とする株式会社面白半分から出されていた雑誌で、刊行期間は1971年から80年代の十年間、まさに70年代を象徴するようなユニークなサブカル雑誌である。
私個人にとってみれば『面白半分』はやはり「四畳半襖の下張」裁判ということになるだろう。同誌は半年交替で作家が編集長に座るというスタイルをとっており、72年、野坂昭如編集長時代に翻刻掲載した伝荷風作の春本「四畳半襖の下張」が刑法175条違反として摘発された事件である。
むろん67年生まれの私が同時代的にこの事件を知っていたわけではない(80年の結審あたりの記憶はかすかにある)。また実際『面白半分』を買って読んだこともない。古本屋で同誌を見かけてもとくに買おうと思ったことはないし、さらにいえば、本書の副題を見て『面白半分』はサブカル雑誌なのかと認識したような次第なのである。
そもそも「サブカル」というカテゴリーにさほどの入れ込みはなかった。そんな立場なのに本書は一読すこぶる面白かった。
同誌創刊に力あった吉行淳之介はじめ、歴代編集長(野坂昭如五木寛之金子光晴開高健筒井康隆井上ひさし藤本義一)たちの愉快なエピソードや彼らとの交遊をふりかえった記述はさすがに精彩に富んでいる。70年代的なパワーが封じ込められているという感じだ。
第三章「「苦さ」と「甘さ」の間」では、開高健の傑作『新しい天体』における主人公のグルメ行脚を追体験する文章を中心に、開高健の魅力が綴られている。本書を読んでもっともインパクトがあったのは、やはり開高健だろうか。