すべての話題は猥談に通ず

街に顔があった頃

開高健吉行淳之介両氏の対談集『街に顔があった頃―浅草・銀座・新宿』*1新潮文庫)を読み終えた。本書は同じ新潮文庫に入っている『対談 美酒について』*2の続編である。こちらは先年重版され、そのとき入手したが、続編はその直後偶然古本屋で入手することができた。個人的には「美酒」より「街」のほうに関心があるので、続編から先に読むことにした。
もちろん街には酒場がありそこには美酒がある。美酒について語るにもその美酒を飲んだ場所について話が及ぶことがあろう。実際この二人の対談は奔放自在で一つの話題にとどまることがない。200頁に満たない文庫本に夢中になっているうちに時間を忘れるのだ。
さて本書はテーマが街、都市である。ところが「当節流行の「都市論」風のものを予想していたのだが、どこでどう間違ったか、いや、間違うヒマもなく、話はたちまちワイダンになってしまった」吉行淳之介「まえがき」)ということになる。たわむれに「街に顔があった頃」でなく「街にエロがあった頃」と言い換えても二人の著者に許されそうな気がする。
サブタイトルにあるように浅草・銀座・新宿という特徴的な三つの街がテーマに選ばれているが、結局はその街のありかたを媒介に話は猥談へとうつろう。開巻劈頭、浅草を取り上げた「浅草綺譚」の二頁目、開高さんが昔の浅草の思い出ということで切り出したのがブルーフィルムを見せるためのポン引きで、本書全編に通じる猥談のきっかけになる。
何しろこの二人がぶつかりあうと、そこで語られる猥談の勢いも増幅し、何とも言えぬ味わいが醸し出される。あまりに直截的な猥談はここで取り上げるのが憚られるので遠慮するけれど、たとえば「銀座」の章では、開高さんは東京と大阪のラブホテルの違いについて鋭く指摘する。
大阪ではラブホテルを訪れた男女が「さながら歯医者かプールの待合室で待っているかのよう」「明朗快活、開けっ広げ」なのに対し、東京では客同士が顔を合わせぬようたくみに部屋に誘導する。「見れば出口が二つか三つ、ベトコンの穴ぐらみたいや」(73頁)。
いまひとつの違いとしてあげられているのが、大阪には「帯結べます」と看板に書いてあるホテルがよくあるという点。成人式の振袖姿のままホテルに入り帯を解いた娘が事を終えたあと結べずに往生する。それからの開高さんの描写が絶妙だ。

そういうときに、百円か三百円か金を出すと、裏口で洗濯機をゴトゴトやっていた笠置シヅ子みたいな気さくなタイプのオバハンが出てきまして、ええ、ワテも若いときにはこれで苦労したもんですワ、ハイハイお嬢さん、向こうむきなはれと言って、チャチャチャと帯を結んでくれる。そして恥をかかないで帰してくれる。(74頁)
開高さんが女子大で講演したときの話も楽しい。大学によって微妙に匂いが違うという。最初は香水の匂いがたちこめていた講堂が、話で笑わせているうち各大学とも同じ匂いになってくる。笑うと発散して体内の匂いが外に出る。「そしていちばん最後になると、どの大学も徹底的に同じ、生臭い匂いになる。女の日の匂いです」(79頁)。男はどうだろうと「いっぱし流して歩いてみたことがある」というのが開高さんの研究熱心なところで、男もやはりある種の匂いが立ちのぼってはくるものの、女ほどの序幕と終幕の違いの激しさはないというのが面白い。
海外旅行で三日もいると大便の匂いが違ってくるなど話は猥談からはみ出てシモの話一般に及んでくる。こうなると対談集第一弾の『美酒について』は美酒を語って話はどういう方向に流れてゆくのか、ある程度予想がつくようになって、どうせだから一緒に読んでしまおうという気持ちになるのである。